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大阪のイメージについて橋爪節也先生にうかがう

  • 2010-04-02 (金)
  • 大迫

大阪大学を訪ねて、橋爪節也先生とお会いする。建ちそうでなかなか進まない様子の「大阪市立近代美術館」の来し方行く末や、大阪の人たちの芸術文化に対する意識についてなどなど。

橋爪先生にお会いするのはナカノシマ大学2月講座以来であるから、約2ヶ月ぶり。取材のテーマは伝えてあったのだが、「ちょっと、これ知ってる?」とあれこれ教えてくださるのでなかなか取材に入れない。服部良一作曲・朝比奈隆指揮の「大阪カンタータ」なるぶっ飛んだ曲を聞かせてもらったり(もちろん演奏は大フィル)、今は知る人の少なくなった「大阪市歌」のことも教えてもらった(これは島民のネタになりそうである)。面白いものを知り過ぎていて忙しくてかなわん、といった感じにも見える。

近代美術館の話は一筋縄ではいかない問題なので、やはりそうかという感想だが、面白いのは美術館や博物館などのいわゆる文化・芸術に関する施設あるいは作品を所有することには、街の人々の自意識が深く関わっているのではという指摘だ。

美術館建設のため、どんなに優れた(そして高価な)美術作品を持っていても、それを享受する側であるはずの市民が街に対して(もしくは自分がその街に住んでいることに対して)リスペクトがなければ、「そんなん金のムダづかい」の一言で片付けられてしまうと橋爪先生は言う。そんな「ええもん」を持つ資格なんてない、というわけだ。

これは確かに大阪を「コテコテ&ベタ万歳」の感性で捉えていれば、そうかもしれない。ただし、と橋爪先生は言う。実は明治期には文化芸術都市として整備していこうという動きもあった。

現在の大阪市立美術館は、大正9年に市議会で建設が議決され、当初の開館予定大正13年としていた。これが実現していれば、大正15年に開館した東京府美術館(現・東京都美術館)よりも早く、公立美術館においては日本で最も古い美術館となっていた。ちなみに文化都市と言えば必ず名が挙がる京都の京都市美術館は昭和8年開館である。

この動きについて橋爪先生は、『大阪春秋』2007年夏号で「大阪市の美術館計画を、私は大正十四年の市域編入による“大大阪”誕生をにらんだ文化行政プロジェクトと考えている」と書いている。他に、大阪市美術協会の設立や市立工芸学校の開校などを例に挙げ、少なくともこの時点では大阪も文化芸術都市を目指していたはずだと橋爪先生はにらんでいる。そこには経済的に豊かで街に活気があり、自らの街を大大阪であるともって任じた人々の威勢のようなものも絡んでいる。中央公会堂、ダイビル、朝日ビルといった豪華な建築が生まれた背景には「このくらいのものでないと、今の大阪にはふさわしくない」とする気概もあったということか。

関東大震災や大恐慌で市立美術館の建設は当初の予定より遅れてしまったが、もし計画通りにいっていたら…と橋爪先生はやや残念そうに続けておられる。バブルの頃のように、ばんばん建てれば良いという話でもないが、記憶装置としてのミュージアムの役割を考えたときに、それがなかったことで忘れられていった画家や作品も少なくないだろう。

文化芸術=敷居が高くかしこいものという単純な図式があるとすれば、それはコテコテ&ベタ万歳と裏表の関係にある、大阪イメージへの思考停止のあらわれの一つかもしれない。

 

 

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