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ぼくの友だち、籔内博くん

  • 2010-05-07 (金)

画家の籔内博くんから

5月11日(火)~16日(日)まで、京都市美術館(左京区岡崎公園内)の1階大展示室にて、インパクトアートフェスティバルというグループ展に出展しております。
午前9時から午後5時まで、入場無料です。
実はまだ作品を作っている最中です。立体作品です。
よろしければご高覧していただければ嬉しいです。ブログも見てね。

という案内がメールにて届いた。
籔内くんはわたしと岸和田市立岸城中学、大阪府立岸和田高校と同級生で、彼は多摩美大に進みその後長く東京にいて(劇団をしていた)、たしか30半ばで岸和田に帰ってきた根っからのアーティストである。

わたしは彼が大阪に帰ってきてから、『ミーツ』でカットやイラストを頼んだりレイアウトをしてもらったりしていたが、140Bを設立してしばらくして上梓した『岸和田だんじり讀本』のレイアウトからブックデザイン、イラストの仕事をしてもらった。要するに1冊まるごと表紙からデザイン関係、カットまでお願いした。

この本はオビ文にあるように「取材12年、執筆6年。ついに刊行!『祭の当事者だから、出来た』」というようなたいへんなもので、重ねていうと編集に2年かかった。 

それを十分わかってくれたのか、籔内くんの第1章の6ページにまたがるだんじり曳行の図、各章扉に分割使用した絵画は絶品で、これは岸和田それも旧市で育った画家しか描けない「だんじりの絵」である。

彼は今、岸和田市と貝塚市のちょうど境目にある元針金工場の建物でワークショップのような絵画教室「アトリエズガ」をやっていて、「ブログも見てね」という一節があったので、どれどれと見てみると、なかなかすごいことを書いてある。

ボクはアートで力を得、アートでヒトとなり、アートにすがってここまで生きのびてきた。
ボクたちの生活の中から、身近な局面から、アートによって魂の震える時間を引っぱり出す体験を、参加者達とわかちあいたい。

彼の家では年明けの冬になると、おばちゃんがおかきを出してくれた。それを僕たち高校生は歯茎や上顎やほっぺたの内側が擦り切れるぐらいに食べた。それぐらいむちゃくちゃうまい。

おかきって知ってる?
かきもちのことだ。おもちにゴマとかをいれてついて、もち箱に入れて長方形(6センチ×30センチ×40センチくらい)に固める。
ウチでは12月30日、正月用のもちつきの時に、かきもちもつく。
中にはなにもいれないもの、黒ゴマをいれるもの、白ゴマをいれるもの、桜エビをいれるもの、ノリをいれるものがあって、ついて3日後に専用のかんなみたいなのでうすくスライスしてそれから包丁でおかきサイズに切る。そして干す。乾いたら箱や缶にいれて保管して焼いて食べる。お茶漬けにのせてもいい。とてもおいしい。
手間のかかる工程です。これをウチではいまだにやっております。なんとなく続けてたらいつの間にかこんなことをしてるのは近所ではウチだけになってしまった。他所ではやってる家もまだあるだろうが、これをやると時間が旧い流れ方をする。ほんとに。家族の行事って感じですよ。
おかきかき(かきもちのスライス)の様子。
小学高学年くらいになるととても戦力になる。
焼き上がり。お茶漬けにかけて少し塩をふって、お漬物(冬はおこうこ)で食べるととてもおいしい。
昔は休みだからってそんなにレジャーなんかしないで家族でこんなことやってたんだなあとか思うし、これやってたらスキーとか行けません。君はおかき作りを取るかね、スキースノボを取るかね?え?と、意味もなく誰かに詰め寄りたい気分だ。
2010年の現在では、この工程を辿るような時間が流れてないと思う。そこを無理してやっております。
おかき作りをやると旧い時間が流れ出すと言ったけど、つまり時間というのは今も昔も同質で、事象だけが変化していってるのではなく、事象が変わるので時間の質も変わり、人々の行動や倫理観までも変わっていってると思うのだ、なーんて深そうなことをおかき作りをやりながら思ったりして。スキー行ってるとそんなこと考えんぞ。

これは「おかきかスキーか、それが問題だ」というエントリーからだが、すごいことを書いてるな、と思った。
小学生も高学年になるとおかき作りの戦力になると書いているが、ここには「忙しい」一昔前の岸和田の街の人の生活がある。

「忙しいですよね」とか「お忙しいでしょう」とか、人にものを頼む際に「お忙しい○×さまに折り入ってお願いする失礼をお許し下さい」とか、 そういう「忙しい」は勿論「時間がない」ということである。

わたしの場合などは、「誠にご無理申し上げますが、締切は…」原稿を頼まれたりする場合があって、「忙しい」からと締切を延ばしてもらったり、あるいは断る場合もあるのだが、そんな「忙しさ」というのは、経済活動において「忙しい」ことを指すのである。

すなわち「忙しい」というのは「売れている中」とか「商売繁盛」ということで、そういう「忙しい人」は世間的に見て「いいこと」である。

しかし「もうかりまっか」と訊かれて、「はい、バンバンもうかってます」と答えないと同様に、「忙しいですか」と訊かれて、「すごい忙しいですわ」とは、わたしの場合よう答えません。

それはこの「おかき作り」や「だんじり祭」の忙しさを知っているからで、世の中には いろいろな「忙しさ」というのがあるからだ。

この頃聞かれなくなった挨拶である「もうかりまっか」は、今風の「お忙しいですか」みたいなものだが、大阪の商売人は自分で「忙しい」というようなことは言わなかった。

このところの「忙しい人」にはその韜晦がない。

それは籔内くんの言う、

つまり時間というのは今も昔も同質で、事象だけが変化していっているのではなく、事象が変わるので時間の質も変わり、人々の行動や倫理観までも変わっていってると思うのだ

ということかと。

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