店を書くこととブロガー  投稿者:江弘毅「新・街場の大阪論」

編集責任者:江弘毅を始めとした京都・神戸・大阪の編集集団

長い間、ツイッターにつぶやいていたり、毎週の新聞連載や書き下ろし『「うまいもん屋』からの大阪論』で、ブログを休んでいました。
またぼちぼち書き入れたり、いろんなメディアで書いたものをアップしていきます。

これは、ツイッター上でちょっと話題になったものです。
お読み頂ければと...。


編集後記(『ちゃんとした大阪うまいもんの店』より)

これまでそれこそ山のように店や食べ物の記事を書いたり編集してきたが、いつも特集や増刊別冊のタイトルについて考えることがあった。

「ミーツのおいしい店100」とか「ハナコおすすめのフランス料理」とかのタイトルは、ストレートだけど、「おいしい」とか「おすすめの」といった冠は、意味がないというか、ちょっとおかしい。
ちょっと考えてみれば分かるが、どの雑誌がまずい店を採り上げたりするのだろうか。
そもそもいい店やおいしいものを「おすすめしない」特集などあるのか、ということだ。

 「大人のためのいい店100」ともなれば、普段やってきた編集仕事が、「子ども相手」で「良くない店も載せてきた」みたいなことを暗に物語っているようで恥ずかしい。
普段から「ちゃんと」編集してれば、今さら「大人の」とか「いい」とかのアナウンスは不要だ。
それならむしろ「大人になりたくない人の悪い店100」の方が、絶対売れると思うのである。

 今回の「ちゃんとした大阪うまいもんの店」というネーミングは、店側も書いたり紹介したりするメディア側もそういう前提をもう一度確認しようということだったと思う。

 そういう意味では、このところの「食べログ」などの「書き込み」も痛いものがある。
決定的にダメだと思うのは、ブロガーたちがグルメ本などの評判を見て初めて行って、その店の「料理がまずい」「サービスがなっていない」「コストパフォーマンスを考えると二度と行かない」などと「評価」していることだ。
「オレに言わせりゃこの店は...」といった態度は、どうしても、店のアラを探したり貶すことが目的みたいになってくる。
そんなスタンスでいると、いつまでも「うまいもの」にありつけない。

 わたしたちプロは、他のメディアに「掲載済み」のグルメ情報を頼りにすることをしない。
そういう意味ですでにブロガーたちは、街の「うまいもの」には、いつも一歩も二歩も遅れている。

プロはネタを「足で稼ぐ」。それもうまいものを求めて闇雲にあっちこっちと「食べ歩く」なんてことはしない。
新しい店に行く場合も、街場での口コミや評判で行く。その情報源は、信頼できる知人や地元のネットワークからのものだ。
大阪の街場では、「店(人)と客(人)との関係性」こそが、すなわち「うまいもの」にありつく要諦なのだ。
だからこそ「馴染み客」「お得意さん」になることが一番であり、あらかじめグルメ誌やガイドブックで情報をインプットして店に行き、そのメニューを注文するというのは、文字通り「まずい」やり方なのである。

つまり「店づきあい」ができるかどうかで、その店の料理がうまくもなりまずくもなる。
だから本当は取材でその店に行って何かを食べても、それはあくまでも試食であって、「おいしさ」については聞いたデータ以上のものは「何も書けない」のだ。何より最悪なのは、店に対して「評価してやろう」という軸足の置き方である。
そういう構えでいる限り、店との相思相愛の関係性は絶対成り立たない。




 

 

 

 

 

 


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