いっつも消費者でおったら、しんどいやろ。
戸口も窓もない「バロックの館」。
京都精華大の「まちづくり論」の講義も2年目になりました。こないだも「モナドなわたしとまち」ということで、桃知が再三言及しているところの「バロックの館」をばーんと黒板に書いて説明しましたよ。これは学生にとっても「おー」という感じでめっちゃ分かりやすい。
私には戸口も窓もないのだが、それはまさしく〈実存すること〉によってなのであって、私の内にある伝達し得ない何らかの内容によるのではない。〈実存すること〉が伝達し得ないのは、〈実存すること〉が私の内にあってもっとも私的な(個人的な)ものである私の存在の中に根を張っているからである」(エマニュエル・レヴィナス『時間と他者』 「〈実存すること〉の孤独」)
単子(モナド)と同じように、そのような個体にはいわば「窓がない」。異なる個体同士を包摂して、そこにコミュニケーションを実現してくれるような、一切の安易な回路はそこにははじめから存在してはいない。このような個体性を、外延として表現してみれば、それはまさしく「点」にほかならない。このような点には、もちろんのこと窓とてなく、点と点を結びつける媒質も、想像界によらないかぎりは、現実(リアル)としてはない。(中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』p321)