「都会」に住むのと「街」に住むのとは違う。そこを分からんとなぁ。
都会には無くなったハイボールは「街的」過ぎるわ。
こういう店やハイボールを連発で見せられと、こちらも何か書かかずにはいられなくなりますやんね。
そして彼は、それを思考的闘争として、(なにげに)『「街的」ということ』で、われわれにしかけてきた。「お前らの街にこれはあるか」、と。http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_346.html
ということなのです。
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こういう店やハイボールを連発で見せられと、こちらも何か書かかずにはいられなくなりますやんね。
そして彼は、それを思考的闘争として、(なにげに)『「街的」ということ』で、われわれにしかけてきた。「お前らの街にこれはあるか」、と。http://www.momoti.com/blog/2006/12/post_346.html
ということなのです。
前回の「おーむちゃん」の写真はよかった。それは「40歳を越えたら男は自分の顔に責任を持て」とはいうけれど、あたしゃ責任持てませんでしかないのですが。(笑)
顔は店のようなものなのか。門松くぐれば必ず古くなる。けれど、その都度に深みを増していくものなのでしょう。
しかし勘違いした改築・改装や、田圃の中にぼつんとできたジャスコのように、表面いじって新しくなろうとする顔もあるわけで、目が節穴のあたしは、そういう女性にコロッと騙されていたりもするのです。(写真提供:ねぇさん)