人間の非合理性を受け入れるのは町内会でしかない。
先日は金子光晴さんの「寂しさの歌」をありがとうございました。それはちょうどあたしの心象のようなものなのか、泣きそうになりましたよ。「寂しい」は絶望感のことですね。
僕、僕がいま、ほんたうに寂しがつてゐる寂しさは、
この零落の方向とは反対に、
ひとりふみとゞまって、寂しさの根元をがつきとつきとめようとして、世界といつしよに歩いてゐるたつた一人の意欲も僕のまはりに感じられない、そのことだ。そのことだけなのだ。
金子光晴 「寂しさの歌」より
しかしあたしには、寂しさの根元をつきつめようとして、世界といっしょ歩いている江弘毅がいる、と。