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2007年12月 アーカイブ

2007年12月04日

みんな、ミシュランとマクドナルドかいな―食べるもんぐらい、好きにさしたってくれや。

ミシュラン東京版」て見ましたか。
新聞では「4日で完売」とか、雑誌やテレビのワイドショーにも、思いっきり採り上げられてます。自称グルメな「ちょいワルおっさん系」みたいな芸能人が、視聴率高そうなテレビのワイドショーで「はっきり言って、ありゃダメだよ。オレの行く店が、ほとんど載ってないもん」なんて言ってたり、「発表当日は(3ッ星の店は)電話を置いた瞬間に次の電話が鳴る騒ぎに」なんて、毎日新聞でも書かれていて、何ともいえない気分になってます。

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2007年12月05日

ああ、なに食ったらいいのかがわからない―けれどもミシュランはあたしの中にある。

バロックの館

 

「襞によって変化をつけた布」を張りめぐらせた閉じた個室

 

「いくらかの小さい開口部のある」共同の部屋:五感

 

バロックの館
(グレゴリー) 

バロックの館
(ジル・ドゥールーズ:『襞―ライプニッツとバロック』:p11)


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2007年12月06日

食べ物に、店にリーズナブルなんかあるかいなー街場の店を消費することはできない。

おお、浅草の桃知よ。素早い執筆。まさに、

解釈(アンテルプレレタシオン)は貸借(アンテルプレ)を満たすために快速(ブレスト)でなければなりません。(ジャック・ラカン『テレヴィジョン』P114)

ですね。これは以前、貴君に教えてもらったラカンのフレーズでしたが、これを読んだとき「さすがラカン。世の中、こんなかっこいいことを言うオッサンいたんや」と思いました。韻をふんだ言い回しも実にかっこいいですね。たまたまこのたび、阪大の総長になられた(文系から初めての学長!)鷲田清一先生と飲む機会があって、うれしがってさっそく「ラカンですわ」と伝えたら、「おお、江くんすごいな。それ何の本にあるんや」と京都弁で言われ、「よーし、次もいったれ」と今をときめく内田樹先生にもご自宅の麻雀の席で諳んじたら、「そりゃ多分、『セミネール』じゃないの」と江戸っ子弁で言われました。
そうか、さすがのおふた方は知らんのやわ、とオレはやに下がり「へへ、『テレヴィジョン』ですわ」と、自分が教えてもらったばかりのフレーズが日本を代表する両哲学者(現代思想家か)を感心させたことに、さも自分がエラいかのように吹聴したのでした。自分が書いたものではないのですが(笑)。

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2007年12月08日

ミシュランの三ツ星に連れて行ったからといって、やらしてもらえるわけもなく。

キアスム

人生は

  線形であるわけもなく

      ぐるぐると 反転を

  繰り返している

ああ、目が回る

キアスム
Fx(a):Fy(b)=Fx(b):Fa-1(y)
キアスム交差図式、若しくは神話のアルゴリズム
クロード・レヴィ=ストロース



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2007年12月11日

「おじい」の不在が、街をミシュラン化してしまいよった。

京都の若きアントレプレナー、藤田さんのコメントには、銭湯での年寄りの「場所」というのが出てきます。

140Bで、「ななじゅうまる」という、70歳を想定したリージョナル誌をつくり、新聞やテレビのニュースの特集にとりあげられたり、それなりに評価されましたが、そこでみんなで取材し考えたことは、はたしてどういうベクトルがはたらいて、「豪華客船の船旅」とか「田舎の別荘」とか「資産運用」というのが、現在の年寄りの欲望であるかのように語られているかのことでした。

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2007年12月15日

幸福なジジババはお互いに似通ったものであるが不幸なジジババはどこもその不幸のおもむきが異なっている。

幸福な家庭はお互いに似通ったものであるが不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっている(トルストイ:『アンナ・カレーニナ』)

その何が幸福なのかを
  現代のOSは
手取足取り教えてくれる
         ああ、鬱陶しい!

OS化
OSへの〈適応/非適応〉

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2007年12月20日

「家庭の幸福は諸悪のもと」と太宰は言うた。それで泣いてるのは街だと困る。

太宰治の『家庭の幸福』という短編がありましたねえ。

戦後すぐ話なのですが、役所勤めの30歳が主人公で、ラジオというその頃の先端を象徴する家電(耐久消費財)を通して、いかに「家族」が物質的欲望を具現化する共同体となって、その無意識=エゴイズムが他者をいかに損なっていくか、というとんでもない今的な予言めいた作品で、「曰(いわ)く、家庭の幸福は諸悪の本(もと)」という最後のやつです。

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2007年12月21日

街的という野蛮人。

近景・中景・遠景 

ボロメオの結び目と近景・中景・遠景/劇作家の別役実は現代における対人関係の距離感の変質について、絵画でいう「近景」「中景」「遠景」という用語で語ろうとする。皮膚感覚でお互いに感じ取れる距離については「近景」。家族や地域社会といった共同体的な対人距離で構成される「中景」。神秘的なものや占いを信じるような態度は「遠景」につながる。そしていまや 近景と遠景を媒介するはずの「中景」が抜けてしまって、近景と遠景がネットワークを通じていきなり接続されるというのだ。(斎藤環:『「負けた」教の信者たち - ニート・ひきこもり社会論』)

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