特別編 濡れていた時代と酒。

年末は酒が俺を呼ぶ。

俺の年末は忙しい。俺だけではなく誰も忙しいと思うが俺は熱燗とホットウイスキーにかなり忙くなる。カニが出る。ナマコが出る。コノワタが登場する。その上に寒くなると熱い酒が俺を呼ぶ。本当に酒が俺を呼んでいるとしか言いようがないほどロケーションがいつも整う。毎日毎晩飲んでばかりいられないので飲まずにすむような方向を設定するがそうは問屋が卸さない。酒が俺を呼ぶから俺は飲む。石もておわれても飲む。いやそんな根性はないか。石もておわれるか。絵から言葉になったおもしろいフレーズだ。

元旦は酒を飲まなければならない。

正月は酒を飲む。元旦は朝早くから起きて日の出の冷たい空気に当たってからお屠蘇を飲む。お屠蘇のあとは熱燗を飲む。愛しチロリよ今年も頼む。盃は俺の好みの小さい奴。熱燗は熱め、別にぬるくてもいい。なんでもいい。こだわりなんてあってない。数の子で飲む、たたきごぼうで飲む、ごまめで飲む。丸新のコノワタで飲む。蕗で飲む。

今年も思い出のメロディー的な番組がやっている。それを見ながら飲む。いしだあゆみのブルーライトヨコハマ。水原弘の愛の渚。森昌子のせんせい。盃の上げ下げすすむ。ラクダのパッチとラクダのシャツを着た俺立ち上がる。そして歌い出す。オーディエンスは相棒一人。正月はモチと酒があればいい。一年の計は元旦にあり。だとしたら今年もメイビーゴキゲンか。

北国の春か。

作曲家の遠藤実さんが亡くなられた。舟木一夫の「高校三年生」や島倉千代子の「からたち日記」などにはあまり記憶がないが、「北国の春」を初めて聞いた時は衝撃を受けた。

いつの頃だったか。たぶん俺がスナックに通い始めた頃だから十八ぐらいの時だと思う。「白樺ー青空ー南風ー こぶし咲くあの丘北国のああ北国の春」の詞とメロディーと千昌夫の歌に引き込まれた。その当時俺はロックもブルースもソウルもロックンロールもフォークもラテンもジャズもハワイアンも歌謡曲も出始めたニューウェイブやレゲエやスカなども聞いていた。なんせ俺の親父はハワイアンミュージシャンで歌はうまいしギターもピアノも弾くような親父とそのバンド仲間や芸人仲間の一味に育てられた俺、音楽や芸事の遺伝子は複雑に持っている。なのに大人なお姉さん目当てに通っていた木屋町のスナックで「白樺ー青空ー南風ー」にやられた。遠藤実さんがわずか5分で作曲したといわれている名曲「北国の春」。作詞は「いではく」さんだ。歌があった時代に遊ばせてもらってありがたい。

手の甲の折れた血管あればいい。

「ああー日本のどこかで私を待ってる人がいる」。JRというか新幹線に乗れば駅に着く時や案内の時やらに何やらビブラホンみたいな電子音で「ピンポーンピピポピピポポポーン」というジングル(というのか)が聞こえる。

その時俺はいつも山口百恵を思いだし、あの唇を思い浮かべ、三十年以上前の雑誌「GORO」で見た黒い水着のページの紙のしわが目に浮かぶ。新幹線のジングルが聞こえてからその紙のしわまでたどり着くのがわずか8秒。「ピンポーンピピポピピポポポーン」は谷村新司ではなく俺を旅人にする。俺は旅人。俺は馬。水を飲む馬、手の甲を見る馬。「ああー日本のどこかでー」のいい日旅立ちから馬が出てきた。手の甲の折れた血管あればいいか。このフレーズだけで物語が見える。

俺は漁師だった。
そしてポンヤンポンヤンと飲む。

「お酒はぬるめの燗がいい 肴はあぶったイカでいい」と八代亜紀が歌った「舟唄」が流行ったのも俺が二十歳ぐらいの頃か。その頃街で知り合った和歌山の串本出身の奴らとよく飲んでいてそいつらが酔えばいつも「おいら船乗りーカツオ船乗りよー金波銀波のー荒波超えるのよー」と、いつも歌っていたので「舟唄」の中の「沖のカモメに深酒さーせてよー いとしあの娘とよー 朝寝するダンチョネー」の部分はあまり面白くないなと当時は思った。

しかしそれから30年ほどの年月が過ぎ、今ではこの歌が俺の最も好きな歌のひとつになっている。いや、好きというのではなく、歌詞・メロディー・八代亜紀・スピード・時間・絵・匂い・湿度・記憶・日本・テレビ・あの頃・ワイワイナなどと数珠のように連なって今の俺を安心させる。俺にとってそんな効力を持った歌になっている。そして俺は熱燗を飲むたびにその数珠のような一連の中で少しずつ弱まってゆく。

しかし俺は決して「しみじみ飲めばしみじみと」という飲み方はしない。「ほろほろ飲めばほろほろと」という飲み方でもない。俺は「ポンヤンポンヤンと飲んで時々ウヌッと視線を動かして飲む。「肴などいらぬ相手などいらぬ、手の甲の折れた血管あればいい」だ。また出たか。物語近しか。

傷があるから不況に勝てる。

不況である。不況はアホな俺達にとってとてもチャンスである。まあ基本的にアホでない人達の了見がわかるようでわからないので比較することは出来ないけれど、アホな俺達は穴だらけで隙間だらけで形も悪いしかも不揃いだ。真面目にはやっているが計算違い勘違いの連続で傷だらけ。それでも何とか生きている。生かせてもらっている。

そんな時にきびしい不況がやって来た。今のままではどうにもこうにも立ち行かないからこんな俺達でも自分を振り返る。すると今すぐにでも埋められるような穴や治せそうな傷や補強すれば丈夫になりそうなへこみや歪みがそこらじゅうにある。それを埋めたり治したりすれば下へ下へと押し下げられる圧と相殺出来そうな気がする。いや穴を治せば不況の圧以上にチョットはましになる。出来ないかも知れないけど穴や傷があることに希望が見いだせる。傷から光が放たれている。アホでよかった。穴だらけでよかった。傷だらけで助かった。熱燗は二級酒がうまい。それで俺はいつもゴキゲンになっている。

吉田秀雄が泣いている。

テレビはお笑いだらけだ。お笑いというのももったいないような笑って系の番組ばかりだ。しかしそういう俺も年末恒例のダウンタウンの笑ってはいけない24時間何とかは毎年非常に楽しみにしている。大晦日は忙しいので録画をしてヒマな時に見て大笑いしている。俺も最悪な番組ばかりのテレビと同じだ。

すべてが過剰なキレた服屋の親父が二年ほど前に俺に言っていた。「おーバッキー、朝起きてテレビもラジオもつけんといたら頭がシャープで気持ちええど。俺は滅多にテレビなんか見いひん」と、よく言っていた。

テレビドラマ好きのさすがの俺も最近は野球とゴルフと思い出のメロディーと大河ドラマと朝の連ドラとNHKスペシャルと水戸黄門ぐらいしか見ていない。見過ぎか。テレビコマーシャルにも呆れさせられる。朝の八時台や九時台の主婦向けのコマーシャルが多い時間帯にパチンコメーカーのものが多いというのはどういうことなんだろうと思う。目が点になるタマになる。夫と子を送り出した人を相手にパチンコ台のCMか。非情のライセンスだ。俺は非情のライラック、根性も考えも天知茂。ライラライはサイモンとガーファンクルか。

1円パチンコというのが流行っているそうだ。レートが下がっただけで多分配当率は同じか低くなっているだろう。その方がえぐい。きつい話だ。30年前は消費者金融のテレビ広告なんてあり得なかった。ところが今は過払い返還訴訟専門の法律事務所がテレビ広告をしている。電通「鬼十則」の吉田秀雄さんは泣いていると思う。きっと。

2009年05月19日 15:40

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