その30 客の思い通りにならないからこそ、街のスナックにはゴキゲンがある。「WITH」。

「街のスナック」という業態などないが「街のスナック」とは、お金のあるなしや声の大きい小さいや美人とか男前とか歌の上手い下手とかで何も決まらないようなところのことを指す。価値観が酔うているような店を俺は「街のスナック」だと呼びたい。呼びたいんだ。

スナックという言葉の意味さえ知らない俺が「街のスナック」と付き合ってからもう30年以上になる。30年て何なんだ。まあいい。

初めに言うと「街のスナック」というのは時代の化石ではない。置き忘れてきた街の片隅でもない。一部の人達だけの店でもない。「街のスナック」というのは今最も目を凝らして注目をすべき店であり、業態だと思う。言い換えれば時代が「街のスナック」に向かうべきだと思う。なぜか。お客が何かを求めたからといってそれがリクエストどおり返ってくるとは限らないのが「街のスナック」だからだ。お金を払っても思い通りにはならないから、今、「街のスナック」こそが生き生きしている。

思い通りになる店はつまらない

世間は外に否応なくある。飲食店はもっと勝手にやってくれたらいいと思う。昔の飲食店はもっと勝手にされていたし横着な俺はよく怒られたし来るなともいわれた。そして昔なら許してもらえるまでそこに通った。今は来るなと言われたら他の店に行くかも知れない。俺もいつのまにかしょうもない客になった。嫌いと言われたらすぐにそこを嫌いになり他の店を探すしょうもない客。客は他の店に行くことが出来るが、店は「あんたもうきんといて」となかなか言えない。それがわかっているからその店の空気を匂いを時間を世界を壊さないようにしながら、あるいは壊すようにしながら飲み遊ぶのが男前の客だ。そして男前の客を育ててくれるのが思い通りになりそうでならない、けれども飲ませ遊ばせてくれる「街のスナック」だ。

昭和40年代後半、スナックはたくさんあったが平成も20年を過ぎた今はめっきり少なくなった。なぜか。それは行く目的がハッキリとしないスナックへ行かなくなったからだ。店にいる人と会いたくて行っていた人はキャバクラやもっと密接系の店に行くようになった。歌を歌いたくて行っていた人は飲む飲まないは関係ない歌専門の店や仲間だけでカラオケボックスに行くようになった。

「街のスナック」では見知らぬおっさんが聞いたこともない歌を気持ちよさそうに歌っている。聞いている歌で何かを思い出して歌いたい歌をリクエストすると先に5曲も歌が入っている。二人で飲んで話していたら隣の隣の席に座って飲んでいたおっさんが「それは違うやろー」と関わってきて「チョットーあかんてー○○さん」とカウンターの中のママが困った顔をして俺らに「ごめんねー」と言う。そのうちに気がつけば別々に来ていたお客達がなぜか一体になって全員でコーラスをしていたりする。

「街のスナック」は思い通りにはならない。街の店だからそれで普通だと思う。いい時や悪い時があるから街の店に飽きることがない。街のスナックでさあ苦笑いを肴に飲もうぜ。さあ行こう。

WITH
縄手の白川の祗園情緒たっぷりのところに位置する人呼んで「きんねえスナック」こと「WITH」。数年前までは木屋町の近畿会館にあり様々な伝説が生まれたスナック。基本的にはママ(きんねえ)が一人で店をされている。客層は様々だけれどよく飲みよく歌いよく踊る人たちが多い。女性のお客さん率が非常に高い。だいたい一人4,000?5,000円くらいで飲ませてもらえる。
京都市東山区祗園縄手通白川上ル西側 祗園一番館ビル1階
電話番号:075-525-4928 
営業時間:8:00PM→2:00AM 
定休日:日曜休

2009年07月10日 08:27

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