その36 ハプンド・ハピネス

ゆうべも子供の頃から遊んでいる奴と居酒屋で会った。最近なぜだか小学校の時の同級生や、行っていた学校や学年は違うけど子供の頃に家が近所だった奴や、高校生の頃に街やそこらで出会った奴らとよく会う。偶然によく会うと思っていたけれどよく考えればバッタリと会う要素が20年前や10年前より、30代や40代の頃より増えていることに気がついた。

 

最近は昔から好きだった店にしか行かなくなった

その理由のひとつに俺らの行こうとする場所や店の数が少なくなってきているというのがある。今も俺はそこら中に行っているけれど20年前や10年前はもっ と広範囲にウロウロし、もっと様々なジャンルの店に行きいろんな人と会って飲んだり食ったりしていたような気がする。でも最近は昔から好きだった店にしか 行かなくなった。多分それは俺だけではなく俺と同じような世代の同じような街で育ってきた奴もそうなんだと思う。

昔からといってもそれは20年も30年も前からある店のことだけではない。新しくオープンをした店にも行く。でもその新しくオープンした店には昔から 知っていた何かが必ずある。昔から通っていた店で働いていた人がいるとか昔から食っていたゴボ天があるからだとか昔よく通った道にその店が出来たとか何か ある。

そしてテレビや雑誌でとてもおいしそうな料理やビックリするようなサービスがあることを知ったとしても俺は自分からほぼ行かなくなったというか出来れば 行きたくないと泣いてしゃがんでしまう。それは俺が20歳代30歳代ではないからか、知らないところへ行くことに疲れたのか、いったい何なのだろう。おい しい料理やお酒や気持ちのよいサービスはうれしいけれど、今はそれらよりも昔から「知っている、知っていた」ことの方を俺は何だか優先させている。

目の前の料理や酒がおいしくなる「術」

以前にもよく似たことを書いたけれど、俺は目の前に出てきた料理や酒をおいしくする術をいつの間にか身につけてしまった。おいしく思うことやおいしいと 感じることではない。その料理やお酒そのものがおいしくなる術。そう感じるのではなく、モノそのものが変わる術。

術のかけ方や使い方さえまだわかっていな いけど、その術を俺は会得しつつあることだけはわかっている。うーん何とか説明できたり人にわからせることが出来ればビックリしてもらえるのになあ。うー ん。

そして昔の仲間とどこかで出くわすとその瞬間に「変わったけど変わってへんなー」と多分お互い瞬間的に思っている。しばらく飲んだり食べたりすると今度 は1メーター以内に近づけない感じがする。そして笑って昔の話をしてまた笑っている。本当はもっときつく飲んで何回も会って話したい。けれどもなかなかそ れが出来ない。「おー、今度ゆっくり飲もうや」と言ってもなかなかそれは実現できないというか一度も出来た試しがない。

おいしいものを食べたいというのはわかるけど、おいしいものだけを食べたいと思うのは損な考え方だと近所の後輩と飲みながらよく話しているので後輩達も 何となくそんな感じになってきたけど、料理やお酒そのものをおいしくできるというのは「もうわかりましたって」という扱いをされている。そんな時俺は踊り 始める。最近はずっとマイケルになる。だからいつも皮底の靴を履いている。

今年の百練のスローガンではないけれど、ほんまにいろいろあるんです。難があるから酒も踊りもあるんです。さあ、行きましょう。行きがかりじょうで。ハプンド・ハピネスで。

2010年04月17日 15:32

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