その33 ビヤガーデンとゴルフはヘンコで。

年末は酒が俺を呼ぶ。

練習してついにビールが飲めるようになった俺は勢いづいて、西木屋町の焼肉屋の親父らを誘ってビヤガーデンに行った。どこに行くということになって当然俺は高島屋のビヤガーデンを主張したが、多数決で押し切られホテルフジタの屋上のビヤガーデンに行った。

ホテルフジタのビヤガーデンは景色もよくわりと静かで、お客さんもビヤガーデン的な人は少なく雰囲気はよかった。おかげで俺は生ビールの中ジョッキを飲み干すことが出来た。しかし高島屋に俺は行きたかった。もう二十五年近く行ってないが高島屋のビヤガーデンに行きたかった。

俺が子供の頃、高島屋のビヤガーデンにも親父が時々バンドで出ていた。俺はたまに付いていって楽屋みたいな部屋というか一般客のテーブルをパネルで仕切っただけのところでジュースを与えられバンドを上手の袖からじっと見ていた。するといつもバンドの人の誰かと一緒に来ているきれいなお姉さんが何人かいていつも俺に話しかけてくれた。それから多分40年がたった。

楽屋みたいなテーブル席でジュースを飲んでいた頃の十年後、高校生の俺がツレと高島屋のビヤガーデンで飲んでいたら急に親父が本日の飛び入りゲストで出てきて「南国の夜」を歌ったので、俺はその夜メチャクチャに悪酔いしたこともあった。

ホテルフジタのビヤガーデンで飲んでいてずっと高島屋のビヤガーデンを思っていた。俺はヘンコか。ヘンコリストのひとりなのか。

ジャンボ尾崎と石川遼。

プロゴルファー石川遼のドキュメンタリー番組を何気なく見ていたらジャンボ尾崎が出てきた。石川遼にアプローチか何かのアドバイスをしていた。独特のヘアースタイルや服の雰囲気やカラダのでかさは全盛時そのままだと思うほど、どう見てもあのジャンボ尾崎だった。
 
当時俺はジャンボ尾崎があまり好きではなかったがプロゴルフの試合を時々関西周辺のゴルフ場へ観戦に行った時、ティーグランドやグリーン上のジャンボ尾崎の存在感とその独特さに「わっー」とよく思った。

その頃のトーナメントはスランプから復活したジャンボが圧倒的に強かった頃で、青木功と中島常幸の三人でAONと呼ばれしのぎを削っていた。そこにドン杉原やジャンボキラーの高橋勝成やジャンボの弟二人やポパイ倉本、まるで漫画の敵役のように渋い陳志明・志忠の台湾出身の兄弟などが日本のトーナメントを盛り上げていた頃だ。

試合会場に行けば次々と個性的な選手がラウンドしてくるので試合を見に行けば人間のタイプの図鑑というかアニメのタイガーマスクという感じがして俺は毎回とても楽しかった。

最終日の最終組にはいつもジャンボが彼の相方のようなキャディーといる。ティーグランドでジャンボが打つとキャディーが太く大きな声で「グッショーォーーーーーやー」と唸る。グリーン上で少し長い目のロングパットをジャンボが決めた時などは、その筋の人が株札やバカラでクッピンやナチュラルナインを引いたような雰囲気で「キタキタキターーよっしゃーーっ」な地響きのような声が上がり、バクチ場で波を呼ぶかのようなゴルフ場ではない戦いの空気感があった。並のプレイヤーなら萎縮するような中、それでもライバルの強者達は己の空気を己の身体周辺に漂わせて強烈なタマを打ち返していた。

しかしジャンボ尾崎が低迷する前にジャンボのライバル達がまず目立たなくなってきて、俺が愛好していた日本のゴルフ場の戦いはつまらなくなった。

そしてそれから十数年経ってこれまた別のアニメの世界のような石川遼が出てきた。アマチュアだったタイガー・ウッズが王様になっている。俺が好きだったホワイトシャークと呼ばれたグレグ・ノーマンは去年、アイスドールと呼ばれたテニス界のヒロイン、クリス・エバートと結婚した。クリス・エバートのライバルはマルチナ・ナブラチロワ。俺は今でもスニーカータイプではなくプレーントゥーのような革のゴルフシューズを履いている。俺はヘンコか。ヘンコ結構。泣いても泣けきれん。
 
 

 

2009年08月18日 13:57

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