
伏見のおっちゃん。


俺の親父は男五人兄弟の次男で現在76歳、俺が子供の頃は「伏見のおっちゃん」と呼んでいた親父の兄が長男で81歳。その「伏見のおっちゃん」という人は20代の頃(昭和30年頃)に自力で家業を開業し、一家のおじいちゃんやおばあちゃんをはじめまだ独身だった4人の弟たちや親戚の面倒を心優しい奥様と力を合わせて見てこられた。いわば本家を長年に渡って身を粉にして支えてこられた人だ。
俺もメチャクチャ子供の頃から世話になったし山盛り迷惑をかけてきた。子供の頃、自分の家にいるのがイヤになったり辛い時は自転車でいつも本家へ泊まりに行った。また十代の頃は本家で住み込みで働かせてもらい、給料の倍くらいの量のメシを食べさせてもらい鬼のような量の酒を飲ませてもらっていた。仕事の後の晩メシはいつも一日のクライマックスだった。外に食べに行く時やツレや女と遊ぶ時以上に本家での晩メシの時間は俺にとって大切なものだった(本家で住み込みをしていた数年間は外食をすることはほぼなかった)。
大らかだけどきびしいおばあちゃんがいて叔父貴や住み込みの職人さん達やいとこ達と二つ連なったテーブルを囲み毎日酒を飲みメシを食う。いつもコップ酒を飲んでいる職人さんが酔い出すと必ず俺を的にかけて集中的に仕事とは何かを話し始める。きびしいおばあちゃんが叔父貴を叱り始める時もある。親戚やお客さんはしょっちゅう来ていたし俺のツレまで一緒に食っている時も多かった。
今から思えば毎日毎日一時間も二時間もいったい何をみんなで話していたのかわからないが本家での晩メシはいつも強烈ににぎやかだった。話と酒が飛び交っていた。そんな本家も今は家を支えてきた「伏見のおっちゃん」がひとりで暮らしている。いとこ達の家族が集まる盆や正月はうれしそうに酒を飲んでいるがたまに俺と二人で先斗町の[ますだ]で飲むと横顔が泣いている。
それを見てからは二人で飲むことが出来なくなり、いとこ達や弟や妹の家族や仲間や野球部の後輩達やその彼女らにも来てもらい鍋の材料と酒を山盛りぶら下げ、いつも十人以上で「伏見のおっちゃん」が待つ本家に最近はよく宴会をしに行っている。さすがに盛り上がる。「伏見のおっちゃん」も盛り上がる。酒には助けられる。大きい家だと思っていた本家もいつの間にか小さく感じる。俺が十代の頃に住んでいた離れの部屋に懐中電灯を照らして三十年ぶりに行くと壁に愛のフレーズがたくさん書いてあった。『冬の華』の高倉健のポスターも貼ってあった。俺はここでもまた全く変わっていないことを痛感した。
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