
何かを遮るための、「ええから」というフレーズ。


最近、「ええから」「ええさかい」「ええし」という「ええから兄弟」的なことを俺がよく言っていることに気がついた。「まあええからいこか」「そんなんええさかいこいや」「どうでもええしいっとこ」などという感じでよく「ええから兄弟」が出てくる。
求めに対して説明をするのが面倒なのか、説明をすることが出来ないことなのか、理由など必要ないのか、理由や動機が伝えにくいものなのかわからないが、このところ「ええから兄弟」がよく出てくる。細かいことを説明するのが面倒なことや肝心のその理由や説明が酒と歳によってとっさに口から出てこないことなども「ええから」が出る動機だと思うが、けれどもそれだけではないと俺はバッキーを分析する。
みんなどこかに行くことや何かをすることに目的や理由を求めすぎていると、俺は感じているのだろう。だからどこかに行こう何かをしようとする時に、「行ってどうなる、行ってどんな得がある、行ってどんなええことがある、それをしてどうなる、それをして何になる」と思う瞬間考える瞬間を相手に作らせたくないので、「ええから」と言っているような気がする。そんなこととは何かを聞こうともしないで、「そんなことはええから」と目で居酒屋ののれんを見る。
俺たちは、求めすぎている。
思えば、俺が子供の頃に同じようなことを親父やら近所の年上の人やらによく言われていた気がする。何か指示されたりして、俺が返事をする間もなく間髪入れず「ええから」と言われていた。だとしたら俺は歳をとったのか。いやそれだけではない。時代の空気が俺にそう言わせているのだと思う。
どこそこに行って楽しもうとか、得しようとかを求めすぎている。うまいものを食いたいとか、笑いたいとか、飲みたいとかを思いすぎている。そうなった方がいいというのはわかるのだけれど、調べたりしてそれだけを求めたりするのは明らかに損な戦い、不利な戦いだ。求めることはカッコ悪いことではなかったのか。だからそんなこと思うな考えるなと思い、「ええから」と言って返答を遮ろうとしてしまうのか。
まあ、そんなことを言っても「ええから」と言って引っ張ってきたりしたら、「ええから」を言ったこっちがしんどいことになり、あまりええことのない夜になったりする。そんな時は「まあええやんけ」で済ませばいいと思う。思えば俺は「ええから」を自分自身に言い、つらいことや情けない思いをしても明くる朝に「まあええやんけ」と泣きながらつぶやいてきた。何十年も。正味の話、あー、と言うしかない。
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