「ちょいワルおやじ」の〈消費〉生活のどこがおもろいねん。

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なるほど「安心社会」と「信頼社会」か。だんじりで言うと、「安心社会」の武士階級は、岸和田ではだんじりを曳いてませんでしたね。

「安心」はこの消費社会では今どきカネで買えますね、というか只今売り出し中です。しかし「信頼」というものは、それらの商品あるいはを担保するもので、そのそれらというのは「おもろい」も「旨い」もなにもかもがあって、そこに昨今の「安心」も加わってきている。

ジェーン・ジェイコブスが言うように「信頼」は、(街場の)顔が見えるコミュニケーションの反復による強度というものですね。

「ちょいワル」と「全ワル」の埋めがたい差

商品の交換経済、つまり消費社会はいつもババやスカをつかまされる可能性に秘めていて、それが極端な場合、毒を喰わされたりとなるわけですが、もともとプラスチック製のロゴイヤリングを10万円で買わされること(記号的消費)、只の水を瓶詰めにして5千円で売ること(象徴的消費)、そういうことが当たり前の世界です。

だから、消費社会は底抜けにエキサイティングでえげつない、つまり過酷なわけです。情報を軸にして高度に発達した資本の論理は「差異を見出せ、そして利潤を得よ」ということで、すなわち「利潤を得られる限り、どんな差異でもかまわない」という、電博的な死にものぐるいに身体と頭を使ってそれらを成し遂げらんとする世界ですね。そこに「信頼」を求めるのは、どだい無理な話です。

こないだ「ザ大衆食」のエンテツさんのブログに、「街的」についてが取り上げられてましたが、エンテツさんは「消費主義」を「消費が自己目的化された消費」としています。そして「仕事」と「消費」だけが「生活」になってしまったのが大都会の消費社会というもので、仕事の能力と消費の能力だけで、人間や人間関係を評価する考え。仕事と消費が上手にやれること、それでよいとする考え。それはまた、自分を、仕事の能力と消費の能力だけで評価する考えでもあり、それによって「生活」とそのリアリティが失われている。そういうことを言われていて、その通りだと思うのです。

その上で言うのですが、「生活がしんどい」とか「生活が脅かされている」とかの「生活」というのは、「Nさんは生活の臭いがしないですね」といわれてヤニ下がっている「ちょいワルおやじ」の「生活」とは違いますね。

「ちょいワル」の方の消費社会の「生活」とは、ブランドものを買うときにババやスカをつかまされたり、レストランで毒を喰わされないように、しっかり情報を纏う、みたいなことで、今や「100円あったらマックへ行こう」と、コンビニの「カップヌードルキムチ味ビッグ175円」を食事にしている実「生活」は、ほんまはぜんぜん違うはずですね。

誤解を承知でいうと、それで「生活」が何とかなっているような気になるから、フリーターやホームレスが増えているのでしょう。

「生活」などというと今やまともに汗や涙のにおいがするというものではなく、「マクドでオッケー、キムチ味最高、それで何か問題でも?」という今の「みんな」の生活です。そこのところの「生活」に、こんどは商標登録をした「LOHAS」とか「スローフード」とかが、電博ソトコト的にからんでくる。

「生活」とは、消費することではなく、生きることが生きるためにメジャーであるということですね。

食べるとか、住むとか、子どもを育てるとか、そういういうヤツは本来そうです。よく生きるために食べる。そこには当然生物学や栄養学的なところが絡んでいて、しかし本来そういうやつは、実生活として「良い生活」をしている限り、露呈してこない。そこが糸井重里の「おいしい生活」と違うところです。

だから普通に何も考えなくて、ただアレ喰いたいから喰うということで、旨いものを喰っていれば、それは安い高いとかグルメだとか関係することなく、身体に(フトコロにも)良いというのが、これがストライクの街的で、そこに「そば・うどん、洋食、お好み焼き、寿司は近所のがいちばん旨い」(ハンバーグとポテトフライは近所のが一番うまい、とはいえない)が、立脚しているはずなわけです。

ちょいワルおやじ誌やBRUTUS的情報誌のうっとうしいところはエンテツさんが書くとおりで、「みんなの食堂」を編集するにも消費主義世界のリーダー、つまり、

メディア周辺の「各界」有名人、芸能人やタレントなど、大手広告代理店が関心を持つような、むかしの言葉をつかえば「トレンド」な「みんな」である。べつの言い方をすれば、コンニチの消費主義をリードする「オピニオン」たちである。

で徹底的にこれは屁タレすね。交換原理社会でなく贈与原理優先の岸和田だんじりはよう曳かないし曳いても似合わない。そこらへんがハナから違うわけで、昔ミーツが創刊した頃にお好み焼き屋の特集ページで、京都の店の紹介リーダーをバッキー井上が、「天井を張らしたら京都一」の職人を選んできた。その職人さんがお好み焼きについての街的「生活」においてのリーダーだったわけです。

ミーツはこの辺から編集が「わかって」きて、街において「ここが旨いと人に教えること」も、たとえば子育てつまり子どもを大人にするための情報提供と同じだ。そういう風に考えてきたのでした。

消費世界のオピニオンリーダーや伝道者は奴らですが、街的生活世界の彼らはなんといっても「ちょいワル」でなく「全ワル」の彼ら、つまりその、ヤクザですね。ただ、そのヤクザも昨今は、街的なつまり「街に守られているがゆえに、人が人を守る」度胸千両系男稼業のそれは、交換の原理が幅をきかす社会に取って代わられてますが。なかなかそこのところが、ミーツをやっていておもしろかったところです。

ものを考えるには根性要る時代

編集会議」という編集者・ライター養成講座の講師をここ数年やっていて、今回その演習課題で「情報誌でない○×誌をつくる」ということを出したのですが、若い衆は「消費社会の外部」というものがわかっていない。

「情報誌」というものは、イージス艦衝突事故や大統領選や天気予報が載っていない。「情報誌」の「情報」というのはすなわち「消費にアクセスするための情報」で、そうではない「○×誌」をつくる、というのは「消費社会」でしか通用しないOSをバージョンアップする必要があるわけです。

そこが全くわかってなくて、「読者からのいい店良いものを募りそれを編集する読者参加型の雑誌」とか「情報誌の情報を毎月検索できる」とか、あほらしなってやめるけど、「お前らそんなんでメシが食えないぞ」と言ってやったんですが、それでまた必死にノートにメモしているのですが、もうそらあきませんわ。

頭を使い手足をばたつかせてもがく、といったことをしなくても何とかなるのが今の消費社会で、それをJJとかBRUTUSとかウォーカーとかがよってたかってドライブしてきたということ(オレもか)をつくづく思い知りました。

フェラーリの新型のインプレッションを載せている「ENGINE」もコンビニの弁当の新作を紹介している「関西1週間」も、根っこのところで同じ消費だ、というのがわからない。そこにあるのは消費者として照準するターゲットの違いで、キミらは「ENGINE」にターゲットとして見てもろてない。だから「ENGINEってミーツよりも売れてないですね」なんてのは言っても仕方がない。

そういうことを言って、笑いを取るわけですが、「キミら、食べるも買うもつまり〈消費〉については、カネと情報さえあればぜんぜん何も考えなくてオッケーの時代やけど、ものを考えるときくらいは、もうちょっと根性を入れて考えんと、書いたり編集したりして〈生活〉でけへんぞ」の「〈消費〉と〈生活〉のあわいのところをやらなあかん」とか、もうこっちもむちゃくちゃですわ。

話は「生活」ですが、その「生活」は「おもろいかどうか」「楽しいかどうか」にかかっていて、行為遂行的というか実践そのものですね。もちろん実際それがそうでない場合も常にあり得る。そこに「消費」が関係してくる。コストパフォーマンスというのがまさにそうで、「消費」は、「おもろい」「楽しい」ばかりの追求だけでいってしまいますね(というよりカネで、「おもろない」や「苦しい」を買う人はいない)。

「街的」というのは「街においてのおもろい生活」の実践においての「生(活する)きるに値する街とはいかなるものか」の一考察で、だからこそ「わたしのパーソナルヒストリー」そのものであるわけですな。

消費者には〈情報〉が必要やけど、生活者に必要なのは〈情報〉でなく〈哲学〉や、ということです。

だから「街的」に「楽観」は絶対の必要条件で、だからこそラテンにいかんとあかんと思うのです。どっからどこまでが「悲しい」でどっからどこまでが「うれしい」、「苦しい」と「楽しい」なんてわけて考えるから「おもろくない」のですわ。

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2008年03月16日 07:42

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