すべての道路はジャスコに通ず。

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前略、江弘毅様。私は桃知という変人にこき使われているパソコンでございます。突然のお手紙お許しください。主人は例の五月病(テクスト書けない病)のため、返信が遅れていること、(主人に成り代わりまして)お詫び申し上げます。

テクスト狂がテクストを書かけないのは、書くことで日々の憂さを晴らしている排泄口の便秘のようなものらしく、日々の憂さは鬱積し、それは身体を侵し、ホッピー飲んでいるしか取り柄のないオヤジの脳みそを、深々と傷つけているようです。

酒ばっかし飲んでいないで、たまには「みちのく一人旅」でも大音量で鳴らしながら、夜の首都高でもかっ飛ばし、たまった憂さを晴らせばいいのに、と思うのですが、生憎と主人は、クルマ持ちじぁありませんし、近所の店でホッピーを飲んでは管を巻いているのが関の山、症状の改善もやはり「街的」任せのようです。

日頃の行動半径が1キロメートル以内という、地元密着型の引き籠もり生活者である主人の行動範囲(つまり裏浅草)には、「郊外化」=ジャスコ以外ならなんでもあるものですから、「クルマならいらないよ」はたしかでしょう。けれどあの方は欲の深い人ですから、タダでくれるなら喜んで貰うんでしょうね。ただ、車庫代も、ガソリン代も、自動車税も、保険料も払いたくない人なので、(たぶん)ロシアにでも転売してその金で飲み食いしてしまうのがオチでしょうが。

そんな主人もかつては、地方に住んでいたようで(このあたりは、つきあいが浅いもので深くは知らないのですが)、クルマで通勤し、クルマでタバコを買いに行き、クルマで昼飯を食べに出かけ、酒を飲んでは運転代行で帰り、休みの日には家族揃って歌合戦ならぬ、家族揃ってクルマで買い物をし、クルマごとファミレスで食事し、たまには自動車旅行にも、という「クルマ社会」にどっぷりと浸かった「クルマ生活者」だったらしいのです。(その頃の歩かない生活でメタボ体質になったらしいですよ)。

その頃は、クルマが「家族」の絆そのものだったらしく、クルマに乗っていないと不安だったそうです。それは「消費すること」に収斂していたようで、クルマは(消費への)時間と空間を短縮する「何処でもドア」らしいのです。

消費そこが、自分を映す唯一の鏡であったことで、主人は、なんとか自分と家族を確認していたようですが、それが機能すればするほど、曖昧で複雑で、自己矛盾な運動とならざるを得ないことで、自己は裂かれていくわけで、彼のなかで消費が臨界点に達したとき、家族は「解散」したらしいのです。(そのあたり深くは語らないのですが)。だから、前回、江さんがが書かれた、

クルマの移動はもろに「家」の連続ですね。そして「家」は消費のユニットつまり単位であり、家族の「夢」がクルマに乗ってそのまま移動する。それは「外」に出るということではなく、2キロ離れたバイパス沿いのファミレスでもホームセンターでもそのまま行ってしまう。

を読んで、「刃渡り40センチが、鳩尾あたりにグサリときた」と言っておりました。クルマの生活と消費は対であって、「片一方でも無くなると不安なんだよ」なんだそうですが、「それ以外に、私が私であることを確認する方法を、あたしは長い間知らなかったんだよ」とホッピー飲みながら泣いておりました。

郊外化された「家族」は、乳臭いか、嘘臭い、というのが、うちの主人の口癖ですが、曰く、「郊外化は、けっして過密にはなれない、東京の模造品、若しくは過密の文化から街的を消去した植民地」なんだそうです。

東京という狭い地面で生まれた、大衆の欲望としての過密の文化――最大限の経済性、利益、効率、速度、利便、娯楽、多様性を同時に追求しようとする矛盾を孕んだ高過密のロジック――は、本来人間的な欲望で、そんなのが野放し状態ならおさまりがつきませんから、外部にある「私」を縛るモノとして「街的」が必要なのです。

それを(そもそも過密じゃない)地方で現実化すること(模倣すること)も、たぶん人間の欲望でしょうが、しかしそれは、クルマが大衆のモノとなることで、はじめて実現可能となったモノであって、そこに「郊外化」が「欲望」ならぬ「動物化」に向かう矛盾を内包してしまっていたのでしょう。

「消費」に向かって地上を走る機械式子宮(潜水艦)であるクルマを中心に社会を設計すれば、化石燃料を消費し、酸素を消費し、イエを消費し、ムラを消費し、ソーシャル・キャピタルを消費することでしか「社会」は成立しませんから、人と人との距離は、物理的にも心的にも、遠い方がよいのです(つまり「街的」はむしろ邪魔なのですね)。それは「だからクルマが必要なんだ」が、永遠に動く輪廻転生システムであるためにです。

あるシステムが、輪廻転生するためには、その意図を意識的に忘れさせ、組織的にぼかすことが必要なのですが、そんな心的原理のパフォーマンスをあげるのなら、「交換の原理」を最優先に機能させることは合理的なことです。しかしその代償としての「みんな」化は避けられませんが、うちの主人は、身をもってそれを体験してきたのでしょう。

けれども彼は、(ご存じのとおり)そんなヘタレな地方の擁護者であって、地方がそんな「夢」を追いかけることを、悪いことだとは言わないのですね。ただ彼はジャスコは嫌いだ、と言うのです。しかしそれが地方の欲望の機能等価物ならば(それで「みんな」が幸せだと感じるなら)、誰もそれを否定できやしない、とも言います。

そんなジャスコ嫌いの彼が、細君を引き連れて、南千住(荒川区)のララテラス(近所に高層型のマンション=垂直庭園都市もつ中規模商業施設=中規模ジャスコ的)へ出掛けたことがありました。浅草4丁目からは直線距離で4?程度、自転車漕いで2、30分程度でしょうか。彼にとっては遠出です。

どうやらそれは細君のご要望だったらしいのですが、そこへ行きたいと言っていたご本人(お内儀さん)曰く、「子供ばっかしで落ち着かないのよね」ということで、滞在時間はわずか15分だったそうです。挙げ句の果てに三ノ輪の商店街で遊んできたらしく、なにしに行ったのでしょうかこの人たちは、と思うのですが、げに恐ろしきは馴染んでしまった浅草的ということなのでしょう。幸せの基準が郊外化の皆様とは違うんでしょうね。(ことの顛末はこちらです)。

しかし主人が言うには、南千住で幸せそうにしている人たちの顔も、地方の、ジャスコで買い物している人たちの顔も、あんましかわんないんだそうで、それは浅草や三ノ輪の商店街にある顔とはあきらかに違うのですが、浅草も三ノ輪も爺と婆ばかりで、それは近い将来いなくなってしまう人々なわけで、東京の郊外化も加速するだろう、なのだそうです。

東京の模造品であった郊外化を東京が模造するような時代なのですね。日本全国、目指すはジャスコ(たぶん主人は「下妻物語」の見すぎです)、南千住(東京)も地方も、みん同じところへ向かっていて、だれもそれを止められないだろう、と言います。

もちろん「けれどあたしはジャスコを目指さない」と付け加えるわけですが、彼は、ジャスコの代わりに、なにがあればいいのかを考えるのも面倒なようで、「道路特定財源」が話題になったときも、南千住はともかくも、地方でララテラス(ジャスコ的)をやろうとすれば、やっぱし道路は欲しいんだよ。ジャスコは道路がないとダメなんだよ等と鼻毛を抜きながらひとりごちておりました。

ただそれが、まさに地方の欲望として、地方で機能することで、曖昧で複雑で、自己矛盾な運動とならざるを得ないことを彼は承知しているようで、それは地方が本来なら避けるべき状況(郊外化)を作り出すモノをかえって求めてやまない欲望ですが、しかし地方はその欲望に頼ってしか生きられないとするならば、地方(それはじつは彼と同義なのですね)は、その欲望のために、自己を引き裂かれていることと、どう決着をつけてやろうか、という賭なんでしょう。

主人によれば、道路特定財源では、たいして道路が造れないのが面白くないんだそうです。あれは過去につくった道路の借金返済に使う分がかなりあるんだそうで、知事の皆さんも、道路が欲しいんじゃなくて「借金が返せなくなるから金をくれ」とはっきりと言えばいいのに、とテレビに向かって話しかけておりました。そしてそのことをどう考えるのかは、地方に住んでいる人が、ジャスコがいいのか地元商店街がいいのかも含めて、自分で考える問題だ(あたしゃそこから逃げてきたけれども)、とも言っておりました。

とこんな案配で、つまりうちの主人ですが、相変わらずの矛盾だらけの人間で、書くこと以外には、つまり浅草のヘンなオヤジ的にはぜんぜん元気でございます。ご安心くださいませ。次回はきっと彼自身のテクストでご返信できることと思います。(たぶん) 

ということで。  早々

以上、《ある言葉が人に届くためには、それが「二人の人間によって語られていることが必要である」。私と「私と名乗る他者」によって、同じ一つの言葉は二度語られなければならない。》(@内田樹先生)を履行してみることで、便秘の解消を図ってみました。

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2008年05月21日 11:07

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改題:すべての道路はジャスコに通ず。 from モモログ (2008年05月22日 11:58)

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