その14 俺は「勘定」がおもしろくて仕方ない。京都は「勘定」に様々なものが含まれる。「割烹 蛸八」「モリタ屋」「すし章」「レストランおがわ」

錦市場で京漬物専門店を営んでいることもあって、この壬生菜の浅漬の売値は果たしてこれでいいのかとか、この胡瓜の古漬は胡瓜の浅い目のヌカ漬よりも手間がかかっているのに同じ値段で売るのはどうなのか、漬物は高すぎないか特に京漬物は高すぎないかとか、商品の値段のことをいつも考えている。

いつも考えているわりには値付けやビジネス的な分析や判断や考え方はかなり甘いと自分でも思う。漬物の例を出して言うと少し複雑になるのでうどんで例えると、「すうどん(かけうどん)がもっとも難しいが一番安く売らなければならない」的なことや「まったく手間は同じの親子丼の小と大の値段の差の加減」など、俺は毎日のように値段について考えている。というかお客様にお漬物を買ってもらい代金をいただく時に高いのではないか安いのではないかとお釣りを渡しながらよく思っている。

そんな自分だからということではなく、街で暮らしていることのおもしろさの大きなひとつに飲みに行く食べに行く店での「勘定」というものがある。特に京都はそこがおもしろい。


連れに勘定を見せたくなる店。

店はお勘定にすべてが集約されている。

いくらおいしいものを食べて贅沢な時間を過ごさせてもらい満足していたとしても勘定をした時に思ったより高かったら興ざめする俺はせこいのか。せこいと言われても一向にかまわない。いや、せこい奴と言われたほうが褒められているようで俺はうれしい。

勘定の前にいくらのものを食べて酒を何杯飲んだからいくらになるはずだと計算することはない。けれどもおよそこれぐらいだろうこれぐらいではないかという勘がはじく金額と実際の金額に開きがあったときは、その店を出てから次の店に入るまでずっとその勘定のことで俺は頭がいっぱいになっている。せこいか。せこくない。でもそれを考えてしまう。そして勘定した時に高いなと思ってしまう店はどうしても好きにはなれない。

特に価格が表示されていない店の場合は、その店を好きになるか嫌いになるかのすべては勘定にかかっていると言ってもいいほどだ。余談になるが(すべて余談だが)、価格表示のない店がお客によって勘定の仕方を変えるのは京都ではよくあることだ。店もそれで客をコントロールしているのだしそういう慣習があることで街はより楽しくなっている。

価格表示がある店でもそんなことは多々あることだ。だから勘定をした時にイメージしていた金額よりも安ければ求愛を受けたときのようにうれしくなる。でもお勘定をしているときにはうれしさを表に出さない。次に来たとき高くなっては困るからだ。せこいか。きっとあなたもそうするだろう。

新京極にある割烹「蛸八」は錦市場の近所だからよく行くが、何度行っても店を出てから連れや相方に今夜の勘定がいくらだったかをうれしそうに伝えている俺がいる。「蛸八」はカウンターだけの小さな店だが、付き出しを食べただけでその料理のレベルの高さをしっかり感じ取れるはず。刺し身も焼きものも煮ものも本当に絶品だし、季節を感じさせるものにもいつも唸らされ、玉子豆腐のダシでも魚そうめんのダシでもきずしの酢も飲み干さずにいられないし、グジ(甘鯛)の皮も焼いてくれるし、その上で勘定時はさらにシアワセにさせられている。中京区の宝、京都の宝だ。

連れに勘定を見せたくなるというよりも自己完結的に勘定に喜びを感じるパターンが木屋町三条の「モリタ屋」だ。三条上がったところの木屋町通から玄関へ通じる路地の入り口の看板に、すき焼きいくらオイル焼いくらと表示されているので当然支払額の想定は出来ているのだが、たっぷり座敷や納涼床で楽しんだあとの勘定時にいつもうれしくなる。俺の場合は二人で一万円から一万五千円ぐらいなのだが支払っている時いつも五千円浮いた気がしている。

手慣れた仲居さんがおいしく作ってくれるすき焼きやオイル焼やゆったりとした店の空間だけでも非常に値打ちがあるが、俺は京都府にあるモリタ屋の牧場をたまたま見る機会があったので牛肉が出てくる時にその牧場を思い出し連れに語って喜んでいるから五千円以上は楽勝に浮いた気になってしまう。

なんにせよ勘定は店と自分とをつなぐ大動脈のようなものだ。うどん屋に行けば具によって違う何十円かの差でとても悩むくせに、品書きに価格が書かれていない店では勘で読んだ勘定と三千円前後の誤差ならとても満足する。店にはその店に入る直前のシアワセ感があり、勘定を済ませた後に「店のあと味」がある。さあ今宵も勘を磨きに街へ出かけよう。

2万円払いたくなるメシと店。

店の勘定なんて合ってないようなものだ。

国道沿いのチェーン店系の和食レストランで飲む熱燗が480円で、京都の御所の南あたりの割烹で飲むとてもシズル感のある熱燗や、裏寺の「百練」の熱燗(清酒まつもと)がなんで500円なんだろう。

投資の大きな飲食店は基本的に算数と理科が得意の人たちが経営する。国語と図工が得意な人たちはこぢんまりしている店、あるいはいい匂いがしている店を営んでいる。俺はそう思って飲んでいる。そんなに決めつけるなと怒らないでほしい。客は店で出される料理や酒やサービス以外のものにもお金を払っているし、払いたいと思っている。

ご主人の顔や手のその表情や仕草から想像する歴史や物語。塗りがすり減ったお椀、金継ぎされた皿から滲む楽しいココロ。食器棚の下に貼られたメモに書かれた下手だけれど味のある文字や品書きの書き方や数字。それら客の五感に入ってくるすべてのものが店での勘定、勘定をした「あと味」と密接に絡んでいる。

そう考えると、もう二度と戻ることのない今夜の食事、ひとり4000円や2人で1万円チョットぐらいの店でごまかすより、たまには普段着でブラッと行ってひとりで1万5000円や2人で4万円弱ほど払える店で飲み食いを楽しみたいと思うのはおかしいか。

「2万円」てなんだ。飲み屋ではなくメシ屋で使う「2万円」は値打ちがなければ飲み屋で払う「2万円」より失うモノや与えられる痛手は大きい。可処分所得が高い人でも低い人でもそれは同じはず。

5万円や10万円のクラブや接待料亭ではないんだし、クラブだからこんなもの、格式あるこの料理屋だからこれぐらいだろうという甘さはない。ある程度、値打ちがあるという確信を持っていないとその店には行かない。しかも普段着でブラッと行きたくさせるのだから、かなり強い魅力を持っているというのが必須となる。

8月の地蔵盆が終わり、愛は地球を救う24時間テレビのある頃、そろそろフグだなと思うのは京都の者だけか。高野のフグ屋「ひばなや」が毎年約3ヶ月ぶりに営業を再開する夏の終わりの「てっさ」と久しぶりのヒレ酒、底冷えのする真冬の夕方の「てっちり」とヒレ酒。ポン酢、あさつき、一味がいくらでも継ぎ酒をさせる、カッコもハッタリもない極上の宵。

こっぺ(セコガニ)の出る11月の終わりは先斗町の「すし章」が恋しくて仕方ない。12月には新物のコノワタも待っていてくれる。こっぺ、コノワタ、雨、権藤。コノワタコノワタ、酒、コノワタの連呼。仏料理「おがわ」で適当なおかずをエンドレスにしてもらいワインを熱燗のように飲むも極上。

「2万円」なメシのその夜はいつも確実に記憶がない。それでいいと思う。

割烹 蛸八
京都でナンバー1の居酒屋はこの店だろう。京都で一番ということは日本で一番か。魚も焼き物も酢の物も小鉢系も「あー」と必ずため息が出る。煮物のおつゆも酢の物の酢も全部飲み干してしまう。カウンター10席ほどの店なので繊細な気は張っておきたい。

京都市中京区新京極蛸薬師東入ル北側
電話:075-2312995
営業時間:6:00PM→11:00PM
定休日:日曜休

モリタ屋
木屋町店昔の京都を感じさせる落ち着いた設えの部屋でいただく京都牛の肉と酒はおいしい。仲居さんの手際良さも老舗ならではだと感心させられる。すき焼きのコースは3990円〜、オイル焼き5040円〜。肉は京丹波にある和牛の直営牧場のもの。

京都市中京区木屋町通三条上ル東側
電話:075-231-5118
営業時間:11:30AM→11:00PM(LO10:00PM)
定休日:無休

すし章
今のように他府県から来る人が少なかった頃からの先斗町の名店。ご主人がひとりで静かに仕事をされ奥様が補佐される。お客様も静かに楽しまれている常連の方が多い。とっくりや盃からもこの店の奥床しさがうかがえる。江戸風にぎり寿司。

京都市中京区先斗町三条下ル材木町184
電話:075-221-1738
営業時間:5:30PM→10:00PM
定休日:水・祝休

レストランおがわ
上木屋町の路地の中にあるこの店にはあたたかい店主の小川宏二さんがいる。フランス料理をベースにした京懐石のように素材の持つ風味を生かしたオードブルが楽しい。奇をてらわないかしこい料理こそ京都で味わいたい。ワインも豊富。

京都市中京区木屋町通御池上ル東側
電話:075-256-2203
営業時間:11:30AM→2:00PM 5:00PM→10:00PM
定休日:月曜休

2008年03月19日 08:25