その5 焦げたソースの匂いが誘う、35年前、35年後。「お好み焼き 吉野」

「遠いとこまで来てしもた」と呟かせてくれる
子供の頃から通い続けた店がある。

うどん屋では笑うことはないが、お好み焼き屋ではなぜかよく笑っている。せつない想い満開でスパゲティを食べたことはあるけれど、お好み焼き屋では腹が痛くなるほど笑い転げながら焼きそばを食べていたことしか記憶にない。喫茶店でも寿司屋でも笑わないけどお好み焼き屋ではたとえ不調の時でもいつも笑っている。お好み焼き屋の人が笑わせてれるからではない。誰かに教わったわけでも仕込まれたわけでもないが、お好み焼き屋のざわめき加減や鉄板の上で湯気を出している野菜やスジ肉、揺れるカツオに手の動き、フランクでラフな気分と食欲をそそる焦げたソースの匂いなど、笑うT.P.O.が全部揃っているのかも知れない。

しかし、笑っているばかりでもない。例のあれが出る。「遠いとこまで来てしもた」というフレーズが出る。シアワセかもしれんなあと思える時にそのフレーズは何故かよく出るが、特に子供の頃から食べに来ていた店でお好み焼きが焼けるのを待っている時に出ることが多い。

京都の東山に「吉野」というお好み焼き屋がある。三十三間堂の南側の車がぎりぎり通れるぐらいの道からさらに路地を入っていったところにある。路地の奥の空き地には猫が何匹もいて吉野ののれんをくぐる時、猫達はいつもじっとこちらを見つめている。

ハッキリとは思い出せないがその店に初めて行った35年近く前、その時も空き地から猫達はこちらを見ていた。のれんをくぐると吉野のおかあさんがいる。焦げたソースの匂いがする。コンビニとマンションが増えて街並みの風情や店の内外装など変わってはいるのだと思うが空気は何も変わっていない。

とにかく一番安くてボリュームのあるうどん入りのお好み焼きばかりを食べていた中学の頃も、ビールがいくらでも飲めたハタチの頃も、なぜかいつも背広を着ていたバブルの頃も、長靴を履いた今も、吉野のおかあさんは俺のことを「イノウエくん」と呼ぶ。俺からすればそのおかあさんのルックスというか雰囲気は子供の頃から何ひとつ変わっていないので、おかあさんからしても、半ズボンの鼻タレであろうがイタリアもんの背広であろうが長靴を履いていようが俺も何ひとつ変わっていないのかも知れない。おかあさんから見える俺はイノウエくんでしかないのだろう。

街の一線級のお好み焼き屋は必ず昼からやっている。そして子供が子供だけで食いに来ていたり、ノーメイクのおばさんひとり旅や新聞のおじいちゃん、作業着姿や背広も野球部も食いに来ている。そんな客層の店に行けばまずうまいお好み焼きが食べられるし、その街の空気も感じられてとても楽しい。少年が「ソースは甘を先につけてから辛をつけなあかん」と店の親父に叱られていたり、ホソを多い目にしてくれだの、玉子を半熟で3個にしてくれだの注文をつけている常連の客から学んだりしながら、食べ過ぎるくらい食べまくり、笑いまくることこそシアワセのお好み道だ。

遠いとこまで来てしもた。
35年ていうのは束の間だ。いっぱいあったけど何もなかった。

お好み焼き・吉野

近所の人や大谷高校の学生さんや大人になってからでも来つづけている人でいつもいっぱい。最近は修学旅行生までたまに見かける世の中変わったなー。生レバーやホソ焼やスジ焼もある。冬はこの店ならではのおでんが味わえる。こんな店のある京都はほんまにシアワセだ

京都市東山区大和大路通り塩小路下ル上池田町546
電話:075-551-2026
営業時間:11:00-20:30
定休日:月・火休

2007年12月13日 17:23

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