その6 フグよりフグ屋が好きな人達へ。「ふぐ料理 ひばなや」

先日、よく行く寿司屋で「俺はフグが好きなんちごてフグ屋が好きなんですわ」と寿司屋の主人に言うてしもた。するとその主人が「よーわかりますわ、ほんで井上はんはどこがお好きでっか」と聞かれて答えたのが「ひばなや」という京都の京都らしいフグ屋。その店のことをポツポツ書いてきた。

高野の「ひばなや」(05年12月頃に書いた)

子供の頃によく親父に連れて行ってもらっていた高野のフグ屋「ひばなや」に行く。店のかたちはだいぶ変わっていたがてっさの皿に見覚えがあった。ヒレ酒を飲みながらこれからこの店に何度も来る機会があることを願った。街の先輩と会うこと、それが今最も必要なことだ。

おじいは宝物だ。(06年3月頃に書いた)

相棒の親父さんがしょっちゅう通っている高野のフグ屋の「ひばなや」に行く。俺が子供の頃に親父によく連れてきてもらってたフグ屋で、ご主人にそういうと、「あんたの親父さんもよー遊んではったけどこの人(相棒)の親父さんと比べたら子供みたいなもんや」と笑う。それを聞くまでもなく俺は相棒の親父さんに会った瞬間から剣豪だと感じていたので何故かうれしかった。俺のまわりは極めておもしろいおじいちゃんやおばあちゃんばっかりで、ほんまにシアワセだと思う。けれどもそんな俺にも孫がいる。けったいな話だが孫(これまた女の子)が可愛くて仕方がない。

酒を飲む男。(06年5月頃に書いた)

相棒の親父さんが亡くなられた。剣豪を感じさせるその親父さんは下鴨で造園業を若い頃から初代で営まれていた方で、病院には親父さんところの若い衆がたくさん集まって来ていた。病院で夜の八時半に亡くなられ、若い衆達と親族とで下鴨の家にお運びした。家に戻ってお通夜と葬式の段取りが話し合われている頃から俺は初めて顔を合わせた親父さんところの若い衆達と座敷で飲み始めた。初めはビールを10数人で静かに飲んでいたが、遺影を選ぶための親父さんの写真を誰かがたくさん持ってきたあたりから笑い声が出てきて声も大きくなってきて、いつの間にか全員がヒヤで酒を飲んでいた。造園土木で鍛え上げられた体の若い衆が次々と俺に酒をつぎに来る。初めの間は、「おおきによろしく」と言って飲んで返杯していたが、さすがに朝方までその調子で全員で飲んでいると泣く奴や怒鳴る奴、唸る奴や眠る奴の中で、「おまえらええのー、親父さんと酒飲んだことあって」と言いながら俺も全身の水が酒だらけになっていた。

なぜか残っている7、8人のゴツい体の若い衆に腕相撲を挑み始め、朝の7時になったらタカバシのラーメン屋の「第一旭」に行く約束を皆としているうちに気がつけば若い衆は全員眠っていて、俺の横には親父さんと最もよく飲まれていたという年輩の職人さんが飲んでいた。朝の十時ぐらいになっていた。その年輩の職人さんが初めて飲んだ俺の肩を抱いて「あんたおやっさんと飲み方よう似てるわ。おやっさんと飲みたかったやろ、あんた」と言われた途端、何故かわから ぬが堰を切ったように泣けて泣けて仕方なかった。そして、昼前に下鴨の家を出て自分の店に戻って、仕事仲間を無理矢理誘い「山本マンボ」に行ってからドジョウ汁のうまい東九条の焼肉屋「まるやま亭」へ行き、焼肉でマッコリを飲みまくり仕上げをドジョウ汁で締めくくった。「まるやま亭」を出てもまだ昼の2時だった。その後、銭湯に行ってから夕方に親父さんのいる家に戻ると若い衆達が酒を飲んで俺を待っていた。

果てしなく二日間飲んでお通夜を迎えた。たまらぬ遺影が飾られた。お通夜は木屋町御池の会館。驚くほど多くの人が通夜に来てくれていた。そして夜が更けてきて会館の棺の前で番頭さんや若い衆とまた飲む。いくらなんでも助太刀が必要と思い、通夜に来てくれたパリーグの男に電話するとハゲ軍曹や木屋町の苦労人達もすぐ来てくれた。さすがに強力な助っ人達で、番頭さん達と語り合う男、若い衆達と飲みまくる男、兄弟船を繰り返し熱唱する男、俺はベルトを抜いて鞭にして石の床を激しく叩きながらローハイドを歌っていた。朝方、パリーグの男に俺は酒が飲めてよかったとこれほど思った三日間はなかったとつぶやけば、「そうかーほな葬式終わったらまたゆっくり飲みにいこうや」と言いながら肩を落として高瀬川を渡っていった。

ふぐ供養。(07年4月頃に書いた)

相棒の親父さんが長年手伝いをされていたらしい高台寺近くで行われる「ふぐ供養」に相棒と喪服を着て行った。現地に着くとふぐ組合の方々がたくさんおられ、当然錦市場の人もいて俺が受付に行くとなんでという顔をされた。ふぐ供養といっても行事はほとんど普通の法事と同じで数人の僧侶がお経をあげる中、おしょうこをする。下関や築地や全国のふぐ組合の方や京都のふぐ屋さんの中に混ざってなんで俺が来賓でここにいるのか俺自身が不思議で仕方なかった。確かに俺はふぐ好きで年間50匹はふぐを買うし、最も行きたい店はフグ屋だし、とうとう去年は「有次」でてっさ包丁を買ってしまったがふぐ供養に来ることになるとは思わなかった。式典は「ふぐ塚」というふぐの形をした大きな石の前で行われるのだが、聞くところによるとその石も相棒の親父さんがどこかから探してこられたそうだ。式典のあと会食があり寒かったからかみなさん熱燗をたくさん飲まれていたので俺もたくさん飲ませていただいた。そして帰りの手土産はなんと「へしこ」だった。俺は正味その手土産に感動した。こんな日本を残したい。

ふぐ料理 ひばなや 
フグはフグを食べる空気にそそられる。だから大勢で食べたり遅がけの夜に行くものではない。暮れきらぬ宵の口に一人か二人でヒレ酒を飲み、切なさをシアワセにアレンジして少しずつ酔っていきながら過ごせるフグ屋は至福だ。

京都市左京区高野東大路通北大路下がる西側 
電話:075-781-4588
営業時間: 4:00PM-8:30PM入店まで 
5月末 - 8月26日まで休

2007年12月30日 17:54

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