その11 街から聞こえてくる歌はいつも濡れていた。あー、その歌。そこからが、あー。俺をこの店から淘汰してくれ。「ハワイアンルーム・ケルト」

チョット特殊な親父がいたことや子供の頃から繁華街に近いところで暮らしていたことと無縁ではないと思うが、歌はいやらしいものだと思っていた。「いやらしい」や「すけべ」でない歌はつまらない歌だとも思っていた。

小学生の頃の前田武彦の夜のヒットスタジオで歌われる歌、グループサウンズが唄う歌、テレビやラジオから聞こえてくる歌、親父や親父の仲間が歌う歌などのすべてがいやらしくてエロチックな歌だと感じていた。そうでなかったのは学校の音楽室で歌わされる歌などの学校がらみの歌だけだった。

テレビから流れるものも含めて街から聞こえてくる歌にはその歌詞のどこかに秘め事的なものや大人の女と男の息づかいや脱げかけの下着や酒臭い息や煙草の煙や肌の匂いをいつも感じた。何かが隠れている気配がある歌や歌詞は隠れているものをこっちこっちと手招きして探させてくれる、そんな気が子供の頃からしていた。藤圭子が「夢は夜ひらくー」と歌えば「服の中を見せる」「足を開く」のだと思った。気になる歌のすべてはそのように取ることも出来る歌詞だった。

中学になってロックやフォークが流行って俺はあくせくバイトをしてレコードを買い続けてその時代にモテる音楽をずっと聴いていたけれども全部しばらくすると飽きてしまっていた。いくらロックやフォークやソウルやらが流行っても俺の中心をずっと流れているのは街から聞こえてくるいやらしい歌だった。

たぶん俺はいい勘をしていた。それから40年以上たった今も日本の街場から聞こえる濡れた歌が好きだ。歌にはその歌を唄ったり聴いたりする場所がある。俺がうろつく京都はせまいけれど、そのせまさぐらいの関わり方・関わられ方が俺の好きな日本の濡れた歌にちょうどよい。そしてまた俺が淘汰されたり店が淘汰されたりして唄える店も移ろってゆく。それぐらいの加減が本当にちょうど良い。

歌のうまい下手が気になっているようではたぶん、飲み屋ではモテない。(03年8月頃に書いた)

誰がためにスナックはあるのか。と思うことはないが、俺はなんでこんな見知らぬおっさんが汗をかいて唄ってるのを聴いてなあかんねん、と、スナックやらラウンジやらで2年に一回ぐらい思う。2年に一回ぐらいというのは、頻繁に祇園、木屋町、北新地、ミナミなど、そこら中のスナックやラウンジに行ってることから考えると非常に低い確率だと思う。

カラオケのある酒場では飲んでいるうちに、その店の誰かが必ず歌を唄い始める。俺がまだハタチぐらいの頃はほとんどの人が下手くそだったが、最近は誰もが唄い慣れてきていてなんか面白くない。みんな歌をうまく唄おうと思いすぎていて面白くない。

歌が下手くそでも音痴でもその店にいる人の気分を悪くすることはない。気分を悪くさせるのは、歌のうまい人が多い。うらやましくてそう思うのではない。歌に自信のある人が店の空気を感じることなく唄っている時に気分が悪くなることが多い。いわば、歌がうまいだけの素人だ。俺は、歌は下手だが玄人だと思っているから腹も立たないし気分も悪くならないし、負けたと思うこともない。大切なのは今宵を感じながら、唄いたい歌を唄うことだ。

俺の親父は歌手だった。昭和30?40年代に京都や地方のナイトクラブでバンドを率いて唄っていた。石原裕次郎や小林旭の日活映画などに出てくるような昭和のナイトクラブでハワイアンやスタンダードなナンバーを歌っていた。

今もハワイアンバーをやって、毎晩飲みながら唄っている、さすがにうまい。その歌のプロな親父が、お前は下手くそやけど害にはならへんと言ってくれた時は跳び上がりたくなるほどうれしかった。わずか半年前のことだ。なぜ親父がそんなことを言ったか俺はよくわかる。一年くらい前から歌を唄うことに対してまるでチカラが入らなくなったからだ。ただただ好きな歌を、いとおしく唄えるようになったからだと思う。俺は大人になったのだ。

街のスナックやラウンジでは、いきなり人と人とが会う。知らない奴だらけだ。常連であろうがなかろうが同じ夜は訪れない。なぜか目の前に驚くようなベッピンさんがいてカラカラと水割りを作ってくれている。なんか唄ってくださいよ、と、分厚い本を持ってこちらを見ている。あー素敵。でも彼女に歌は合わせない。自分の好きな歌を好きに唄う。しかしその歌の中には彼女に捧げたいフレーズが含まれている。あー、なんて素敵な夜なんだ。

賑やかでそこら中の客が熱唱している店では負けたくない気持が湧いてくる。子供だと言われてもいい、父よ許せ。野口五郎を唄う。『19:00の街』、「ああ時間ばかりついやしてたー」でくるなら、『私鉄沿線』、「改札口で君のことー」で応酬。鳥羽一郎でくるなら水原弘でいくど。チーママさん、お願いだから高橋真梨子の『ごめんね』を唄ってください。でも浮気はせんといてな。仲間が矢沢永吉を唄う。トラベリンバス。きつい旅になるのはみんな承知のこと。きつい旅がこわくて酒場で笑えない。

その日、その夜、その店で出逢うバイ菌、起こりうる出来事に背を向けるなら、カラオケボックスでスポーツのように唄って発散してればよい。その方が安くつく。

スナックで遊ぶまたは飲み屋で唄うことは、入口だけがあって出口のない街遊びだと俺はココロの底から思っている。いきなり人と人とが会い、飲み、唄い、踊り、話し、語り、また飲み、唄う。たとえそこに嘘がいっぱいあったとしても、こんなに素敵で楽しい街遊びはないと思う。さあ、今夜もきつい旅に出ようぜ。

今宵また、酒場馬鹿は歌をなぞり、ココロしめらせる。(03年4月頃に書いた)

歌は泣きたいことを洒落にしてくれたり、こわれてもいいのよと囁いてくれたりする。そして、惚れるという言葉も、西風が笑うということも、ごきげんとしか表現できないことも歌が教えてくれた。

俺が酒場馬鹿になれた理由の5割以上は歌があったからだ。歌か唄か詩か曲かはわからない。それらを全部足せば6割以上、テッド・ウイリアムスでもかなわぬ数字だ。

酒場馬鹿は純粋にアホの原材料だけで出来ている。気色ばって食品包装の裏ばかり見てからしか買えない、または賞味期限に怯えているような「添加物の多い人」は歌で泣ける酒場馬鹿にはなれない。酒場馬鹿は保存料や着色料がほとんど入っていないから、その人独特の琴線がすぐ酒場で露出するので歌のワンフレーズだけで簡単にこわれてしまう。

大橋節夫の『ズボンの折り目』でうちの親父が泣く。「ふたりで見つけたカトレアの鉢植えは 今でも枯れずに咲いているかしら」で、泣く。俺は何度か見た。なかにし礼が作詞をした『今日でお別れ』の2番で俺が泣く。「最後の煙草に火をつけましょう まがったネクタイなおさせてね あなたの背広や身のまわりに やさしく気を配る胸はずむ仕事は」で、泣く。遺伝子には勝てない。

いつもなぜか黒いパンストをはいてハイボールを飲んでいる32歳の大阪の広告代理店の女性は『大阪しぐれ』の2番の「ひとつやふたつじゃないの ふる傷は 噂並木の堂島 堂島すずめ」の部分を誇らしげに唄い、俺はその続きの「こんな私でいいならあげる 抱いてください?」に、期待しながらも思わず目をそむけてしまう。

岸和田の編集者は『ふるさとの話をしよう』で恍惚状態になるし、パ・リーグの男は星野哲郎作詞の『兄弟船』の「型は古いがシケにはつよい」というところのフレーズばかりをサルサが流れるバーでこわれたように何度も唸っていた。

酒場馬鹿達のココロには魚の骨のように歌のフレーズがいくつも刺さっている。カエリのついたような阿久悠の骨や細長い阿木耀子の骨、親父の世代がうらやましく思う浜口庫之助の骨など無数に刺さりまくっている。そしてその骨のひとつひとつが「いい時代に生きていてよかったね」と囁きはじめるので、今宵もまた新しい歌が生まれ、俺は家に帰れなくなる。そして「守れない約束がカレンダー汚してる」と、小柳ゆきに唄われる日々となる。

ハワイアンルーム・ケルト
開店は約40年前で以来ハワイアン一筋。あのバッキー白片も大橋節夫も来た名店。70歳を過ぎても夜毎ゴキゲンにハワイアンを歌っている男前のマスターから聞ける話はいつも洒落ている。

ほとんどはハワイや音楽の話だが、マスターが若い頃に会館やキャバレーで石原裕次郎や鶴田浩二のショーの前座やバックでバンドをしていたときの楽屋の話やその時に登場してくるやくざな人達の話、モテてモテて仕方なかった話はかなり吸い込まれる。

そんな時代の話や昭和丸出しの話になっていくと「ケルト」には昔からよく遊んで来られてきたお洒落なご年輩のお客さんが多いので、昭和30年代の艶っぽい話が粋な笑いの輪とともに夜毎ひろがってゆく。

1956年のグレース・ケリーとビング・グロスビーの映画『上流社会』で、グロスビーとシナトラがバーカウンターの前で踊りながら飲みながら「バーでお尻をつねられたとさ、ごきげんだね」と歌い「僕たちが歌うのは珍しい、古いカマンベールのように」と歌ってたことを身振り手振りを交え教えてもらったのもこの店だし、そんな映画の話になって1957年の映画『パリの恋人』の中に出てくる「What do youknow?」というセリフの粋さを水割り5杯くらい飲める時間をかけて講義してくれた、疲れさせてくれる年輩のお客さんと会ったのもこの店だ。

いつも小僧として飲むことが出来るこの店はほんまにありがたい。名前の「ケルト」はもともとスコッチが中心だったかららしい。土曜日は隔週でハワイアンデーというライブがある。一人3,000円?5,000円ぐらいが料金の目安。

京都市東山区切り通し末吉町下ル西側ロイヤル祇園4階
電話:075・561・3920
営業時間:7:00PM→11:30PM
定休日:月曜休

2008年02月18日 19:19

このエントリーのトラックバックURL

http://www.140b.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/243

Listed below are links to weblogs that reference

その11 街から聞こえてくる歌はいつも濡れていた。あー、その歌。そこからが、あー。俺をこの店から淘汰してくれ。「ハワイアンルーム・ケルト」 from 140B劇場-京都 店特撰

日本一の男。 from いや、ほんのちょっとだけ。 (2008年02月19日 10:27)

それぞれの書き手には得意な芸がある。 ○○を書かせたら…というヤツだ。 ...