その16 スコセッシやデ・ニーロがいつも描きたがっている下町のお好み焼き屋。「山本マンボ」

下町のお好み焼き屋は、子供の頃から大人やおじいさんになるまで、その街で生きる者またはその街を通過した人間を見続けている。

その店とは取り立てて縁もゆかりもないがその街の近くに行けば、子供の頃から通っていたお好み焼き屋に必ず向かうし行かねばならないと思っている人は多い。というか俺の周りの奴らはほぼ全員がそう思っている。けれども下町のお好み焼き屋にとっては、その街の小僧ひとりがいなくなっても来なくなっても関係なく綿々と鉄板から焦げたソースの匂いが出続けている。俺が例えいなくなったところで鉄板のまわりは何も変わらない。

マーティン・スコセッシやロバート・デ・ニーロがいつも描きたがっている人と街が関わり続ける風景、それは下町のお好み焼き屋だと思う。特に京都の場合。

下町のお好み焼き屋は子供だけで行くことが出来なければならない。けれどもそこにはおっさんやらおばちゃんやらお姉さんやらも食べに来ている店でないといけない。そして店の人は人好きだ。その街の客もお好み焼きという料理よりも、その店に行きたいからお好み焼きを食っているのかもしれない。

だいたい運動神経のよかった奴はお好み焼き屋のデビューは早いが引退も早い。子供の頃からナンパな奴ほど大人になっても頻繁に通っている確率は高い。なぜかブーチン(太い系)だった奴はお好み焼き屋ではあまり見かけなかった。今、俺は完全に太い系になりつつあるが。あー。

それぞれのお好み焼きを超えるお好み焼き屋の「山本マンボ」は、
「山本」という屋号の七条の下町のお好み焼き屋だった。

お好み焼きについてはミーツ・リージョナルという雑誌が創刊してまだ間もない頃、「関西風味」という別冊の中で京都駅近くの「山本」というお好み焼き屋について記事を書かせていただいた。

今では多くの情報誌や旅行情報誌がお好み焼き屋を特集したり京都駅辺りの店を紹介しているページには、ほぼ間違いなく「マンボ焼きがおいしい、お好み焼き屋の山本マンボ」として登場しているが、「関西風味」という別冊で取材をした当時(1992年頃)は、「山本」のご主人が「わしとこ写真撮ってどないすんねん」と俺にぼやいていた。

「あんなおやっさん、俺がな、いつも食うてるもんを写真撮らしてもうて、うまいいうて書かせてもらいますねん」と言いながら、写真はカメラマンにまかして俺はいつものようにビールと「ホソ焼き」から始めて、「焼きそば全部入り」「マンボ全部入りホソダブル玉子半熟で二個入り」を食べていた。そして当時からスピード感のある店のお姉さんに、「あんたが書くんかいな。あんた仕事なにしてんの? メッチャうまいて書いといてや、そやないとあんた出入り禁止や」とからかわれていた。

それからしばらくして締め切りの時、実際に「山本」というお好み焼き屋のことを書こうとして困った。それはお好み焼き、またはお好み焼き屋は「うまい」や「ええ店」などという客観的な評価を出来るものやないということに気がついたからだ。

お好み焼き屋に限らず、食いもん屋や飲み屋を客観的に評価することほどあほらしいものはないが、特にお好み焼き屋はその人間が小さい頃から食べてきたお好み焼き屋のお好み焼きこそがスペシャルであり、よその街のお好み焼き屋はいくらうまくてもその店を好きになるには相当時間がかかる。そして俺は仕方なく「それぞれのお好み焼きを超えるお好み焼き屋」と書いた。

その記事を境にして「山本」を紹介する記事がどんどん出てきて、今では情報誌を持った大学生カップルやらもたくさん来ているので、「山本」のスピード姉さんも初めて来たお客さんにする説明もすっかり板について、「マンボ言うのんはお好み焼きに焼きそばが入ってるもん、ホソというのは、まあテッチャンみたいなもんや、全部入りが人気あるけど」と早口でやさしく説明している。ご主人もすっかり取材慣れしてるようで、取材を受けながら常連を笑わせている。

昔から行っている者にとっては以前よりチョットお客が多くなってこんではいるがうれしい光景である。

下町の店は何でも食べ尽くす。
自分たちのとっておきの店は変わって欲しくないというような
横着な考え方は持たない。だから下町は楽しいのだ。

そして、下町のお好み焼き屋はお好み焼きを食うための料理屋ではない。ロバート・デ・ニーロが制作した「ブロンクスストーリー」という映画を見てもわかるように、下町のお好み焼き屋には昼夜、少年から脂ぎったオッサンや老人までがごく普通の日常の空間として入り交じるのがスタンダードだ。

ポケットに刺繍の入ったジーパンをはいてる兄ちゃんや、こんなに膨らませて何を入れとんにゃと思わずにいられないヴィトンのポーチを持っているオッサン、だるそうな顔をしてセブンスターを吸っているおばはん、走り回る子供、ノーメイクの色っぽいべっぴんさんもたまにいる。そんな風景のある蛍光灯の明かり的な色のお好み焼き屋とデ・ニーロが描いた街の情景とは同じだ。

それぞれの下町の匂いが感じられるお好み焼き屋は郷土料理のような気がしないでもない。それも都道府県ではなくもっと小さいエリアごとの郷土料理だ。京都で言うなら街の景色が変わればその街角ごとにお好み焼き屋は変わる。中学のエリアごとに変わるような気がする。物集女と西院でも違うし、先斗町と安井でも違うし、七条と九条などは近いけれどまったく違う。

したがって俺が右京区の奴にうまいお好み焼き屋があるといわれて連れてもらうと今も何故か緊張するし、うまいけれどどうも馴染めない感じがすると同時に「こんなんうまい言うてんのかい」的な気持ちをどうしてももってしまう。

若い頃や子供の頃に暮らしていた街もずいぶんと変わってきたけれど、今も変わらない何かがあってくれることで、どこを向いているかわからない自分のさびしさを少しだけ埋めてくれる。それが僕らの場合たまたまお好み焼き屋だったということだと思う。

岡林信康が遠い昔に唄っていた「もうずいぶん長い間 見ることもないが 遠い日の僕の街には つばめが飛んだ」というフレーズがまた今も頭の中で流れだした。 

犯罪発生率を下げるためには、下町のお好み焼き屋に助成金を出すことだ。

山本マンボ 
全国で話題沸騰中の中京区の町家。その町家をそのまま使ってうどん屋をしている店に地方(特に東京)の人を連れていくと「おいしそうだね雰囲気があって」と、何故か感心している。何でやねんと思いながらもそういうことに喜ぶ人にはそんな店に連れても行く。けれども京都駅東のたかばし下のこの店には絶対に連れていかない。「お好み焼きはやっぱりこういう雰囲気の店でなくちゃね」と言う人にこの店の料理はもったいないと思うからだ。「ほう、お好み焼きか、まあいっぺん食うてみたろ」な人でないと連れていく気にはならない。

お好み焼きや焼きそばに雰囲気など不要。うまいか好きかだけのぎりぎりの勝負。ただうまければすべて決着。仮にこの店が京都タワーの展望台にあろうと、ソムリエのいそうなレストランにあろうと、京都府警の中の食堂にあろうと、俺は行く。ええおっさんになっても、ベンツに乗っても、子供の頃はいじめられても、嫁さんにエルメスを買えといわれても、これという趣味がなくても、うまいお好み焼きは不変であり、人生の一角なのだから。

この店と出会えて俺は本当にしあわせだ。ホソ焼きからスタートしてビールまたはミカン水を自分で抜く。焼きそば「具全部入りネギあり、生姜なし」と宣言すれば幸せはすぐにやってくる。細い麺なのでうまいソースがひときわ際立つ。それからうどんのマンボ「玉子半熟で2個」をいただく。午前中にいくのが本筋だと思う。

京都市下京区高倉通塩小路下ル東側 
電話:075-3418050 
営業時間:10:00AM→5:00PM 
定休日:木・金曜休

2008年04月08日 06:39

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