その21 毎晩朝まで飲んでいた。彼も飲んでいた。 「アルファベット・アベニュー」

俺はその当時、「画家・踊り子」が仕事だった。

俺が街や店取材をやり始めたのは25年以上も前。なんでそんなことをすることになったのだろう。俺はその当時、「画家・踊り子」を仕事にしていた。というかそれが仕事だと言い張っていた。その頃、本当に毎日何をして暮らしていたんだろう。

子供の頃から遊んでばかりいた俺は、ハタチ過ぎの頃に俄然奮起して見知らぬ先生というか制作プロダクションのドアを叩いた。当時ファッションショーや斬新なイベントの制作やプロデュースをされていて、荷物の運搬に使うトラックもシトロエンというカッコいい会社だった。

スタッフの募集をしているわけでもないその会社に俺は突然電話をして「働かせていただきたいんです」と言った。「募集していないけどなぜ電話してきたの」と電話に出た女の人に言われ「すみません、会社から出てこられる方があまりにもきれいな方だったので」と、ベタすぎて脚本にもならないようなことを言ってなぜか先生につないでもらえて面接してもらうことになった。

その会社のオフィスがこれまたしびれるほど格好良かった。烏丸ではなく四条河原町にあり、3階建てで1階から3階まで上がっていく階段の壁面全面にモノクロームで表現された能面の写真が床から吹き抜けの天井まで貼られてあった。そして3階のドアを開けると、京都の町家を改造した和の構造とヨーロッパのアンティークなエッセンスで構成されたロフトのような異様な空間が広がる。ピアノと重厚なヴィンテージのビリヤード台と大量の画集や美術書や写真集が並ぶ大きな本棚があった。

そしてオフィスには、それまでの人生で見たこともないようなモデル的な視線の少し年上の女性が数人いた。そのほかにお洒落な遊びを俺達は知っているぞ的な俺の嫌いなタイプの男性やら海外の情報を知ってるぞ的な髭を生やした奇妙な先輩達がオフィスにゴロゴロしていた。

そしてその会社のボス、いわゆる先生は、ルックスはクラーク・ゲーブルとアラン・ドロンを足して2で割ったような男前だし、少し話をすればほとんどの人が魅了される説得力や不思議な愛嬌があり、いつでも企画を瞬時に立ててそれをすぐに具体化し、目の前でその舞台のイメージやモデルの動きなどを驚くほど見事にデッサンして企画意図や雰囲気を説明するという先生のその仕事に誰もが感服した。

しかも運動神経もいいし、歌も演歌がうまかった。特に「逃ーげた女房にゃ未練はないがーお乳ほしがるこの子がかわいー」の「浪曲子守歌」がメチャクチャうまかった。もちろんビリヤードも麻雀も将棋も強かった。そんな先生の会社に俺は納品係として採用された。

俺はまさに「門前の小僧」だった。

納品係として採用された俺だが、夜も遅くまで様々なことを手伝わされた。写植を取りに行ったり、トレスコープという暗室付きの機械で写真や文字を紙焼したり、台本を製本したり、打合せに来られた人を送ったりしていた。時々、先生とクライアントの社長などが寿司をつまみながら将棋を指されているのをちらちら見ていて「おっ君も指してみるか」と先生に言われ、対局させてもらった。

俺は先生に一局目だけ勝った。二局目三局目は負けた。たぶん先生は油断をされていたと思うが、俺は一局目に「ハメ手鬼ごろし」という奇襲戦法を仕掛けた。その対局から30年近くなる今もその盤面をハッキリと憶えている。先生に勝ってはいけないのかと思いながら勝つ興奮で指が震えていたのも憶えている。

それから先生は仕事より遊び相手として俺を雇っているのかと思うほど、将棋やビリヤードやバックギャモンの相手をし続けた。スタッフやオフィスに出入りする人達の中でどのゲームも先生とほぼ互角に戦えるのは俺だけだったので、俺は毎日真夜中までオフィスにいた。午前中や昼間は納品や雑用をこなし、夜になると先生の相手をするために待機しているので、先生の仕事をいつも間近で見ているのも手伝わされるのも夜は俺だった。まさに門前の小僧だった。

真夜中まで仕事や先生の相手をしてから、毎晩「シャナナ」というカウンターだけのロックンロールやソウルがかかるバーに寄って朝まで飲んで帰る日々を続けていた。その頃に遊んでいた奴らが今も京都をゴキゲンにしていることが多い。そしてその頃すでに毎晩俺より飲んでいた男のひとりが先斗町でバーをやっている。それが「アルファベット・アベニュー」という店だ。

作り込んだ店では出来ない、隙間の何かが埋まるバー。

先斗町の鴨川側に位置するこの店は気持ちよい。大きな窓から川の動きや光の動きを感じながら飲める。ここで飲めばコントラストでも呟ける。コントラスト、そんな単語は俺が子供の頃やハタチぐらいの頃にはなかった。飲んだ挙げ句の朝五時のこの店のカウンターから夜が明けつつある鴨川をボーッと見ていてそう思った。フォトショップをさわるように窓の外の光が強くなり色と輪郭が変わっていく。カラスが白くなる。カラスが黒くなる。どうにでも見える。カウンターでひと眠りしたせいか酔いが引いている。

気がつけば店にはマスターしかいない。CDをさわっている。マスターは強いコントラスト的なものと対極な人物だ。画像は、コントラストを強くすれば一瞬きれいに見えるがイメージはスカスカになる。カウンターから夜明けを見ていて、もはやシャープにはなれないけれど陰影に惹かれて生きてきてシアワセだったなという気がした。帰るカウンターがあってよかった。

アルファベット・アベニュー
この店のマスターである通称「タコちゃん」、俺のコラムの中では「木屋町のヨーダ」である彼は神戸から京都の大学に入り、音楽にのめり込み、あらゆる音楽のジャンルが錯綜しながら燃えたぎっていた当時の京都の左京区と中京区で出会いと語りと酒を繰り返しているうちに「ノーコメンツ」というスカやレゲェやワールドミュージックやソウルやテクノポップやらをリミックスした音とルックスでメジャーデビューしたバンドのギタリストだった。当時、一世を風靡していた。

そんな彼が様々に変遷をして5年前に始めたのがこの「アルファベット・アベニュー」。決して作り込んできた店では出来ない、ありえない、隙間の何かが埋まるバー。奥に洒落たテーブル席、音がいい。大きな窓の外には低い位置から見えるやさしい鴨川。暖かさとクールさとが散らばり、街の大人のココロを正味で酔わせてくれる。街で暮らしてきてよかったとココロから思わせてくれる店。

京都市中京区先斗町四条上ル松本町161 大黒ビル2F(かっぱ寿司南隣)
電話:075-215-0069 
営業時間:6:00PM→-3:00AM
定休日:不定休

2008年07月05日 14:33

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