その22 小さい店こそ俺の人生だ。「本町亭」

子供の頃から小さい店を選び続けてきた。

俺が錦市場の商店街で漬物店を営んでいるから思うのかも知れないが、食料品や日用品を買う時、出来るだけ小さな店で買いたいと昔から思っている。いや、小さい店で買う方が得をすると感じて生きてきたような気がする。子供の頃から俺は小さな店を選んで生きてきた。

『巨人の星』という漫画でまだ星飛雄馬が子供の頃、毎日ランニングをする道が工事中だったので遠回りをする道と近くなる道があり、星飛雄馬は自然に近くなる方を選び走っていく。するとその道の途中に星一徹が鬼のような顔をして待っていて「飛雄馬よ、なぜ遠回りする道を選ばなんだ」と言って星飛雄馬を思いきり強く殴るシーンがあった。それと小さい店を選ぶことと脈絡はないが思い出した。なぜだろう。

小さい店でモノを買ったり食べたりすると、お店の人がこちらを憶えてくれる憶えてくれてそうな気になる。またこちらも店のおっちゃんやおばちゃんやお姉さんを憶えるし、挨拶もするようになり話されたり話したりすることになる場合もある。

知り合いになったから馴染みになったからといって代金をまけてくれたり量が増えたりすることはない。そんなことで小さい店に行く方が得をすると感じていたのではない。小さい店には小さい店の世界があるから、そこに行っといた方が学べる助かる生き延びられると子供の頃から思っていたのではないかと思えて仕方がない。

大きい店にももちろん世界はあるのだがその世界とはつながりにくいと直感的に思っていたんだろう。そして俺は子供の頃から多くの小さい店と細い糸でつながり続け今に至っている。数え切れないほどの無数の細い糸が俺と街を結んでいるので、俺は自由に体を動かせないようになっている。街を出ることも逃亡することも弱気になって生きることも出来ない。子供の頃から小さい店を選び続けてきた結果として、最高の店ばかりで酒を飲みメシを食いフレーズに出会い続ける人生が送れている。得をしたとしか言いようがない。

小さい店というか面倒な街というか、損得のことについて書いたことがあるので店選びの参考にしてください。

打倒!プラスチック人生。

今、住んでいる家に風呂はない。したがって風呂に入れるのは近所の銭湯(明治湯)がやっている午後3時から夜の11時過ぎしかない。ほぼ毎日のようにメシを食いに行ったり飲みに出かけることが多いので、出かける前に風呂に行くか11時までに家に帰って急いで風呂に行かなければならない。

けれども何も困ることはない。確かに不便かも知れないが、それはいつもお湯が沸いている風呂がある家かマンションのシャワーと比較をするからそう思うだけのことである。自分が持っていないものと勝手に比較をして不便だ損だと思うことほどバカげたことはない。ベロベロに酔って帰った翌日の朝にシャワーは浴びられないが、夕方の銭湯の気持ちよさを充分に味合わせてもらっている。

銭湯にはいつも決まった時間に来るおじいさんやおじさんがいる。銭湯にいる人の顔を見て「あ、もうそんな時間か」と思うことも多い。座って洗う場所も同じだ。ずっと同じ時刻にその銭湯に行けるシアワセ、銭湯に行く時間によってその日の行動が左右されることや街の色合いの変化に気づく楽しさと、浴びたいときに浴びることの出来るシャワーの便利さとは比較のしようがない。

そして、毎日同じような時間に同じことをすることで、その日が一度きりだということをより強く感じることが出来るのだと思う。最近、何でもかんでもメモリーされてうっとおしくて仕方がないので、メモリーされなかった時代の歌やモノに憧れるのかも知れない。

この間、風呂の帰りに居酒屋に入ってしまって助走がつき、そのまま飲みに出かけて風呂桶をどこかに忘れてきたので、なんかのついでの時にスーパーで買おうとしたら、ピンクやブルーのケミカルなものしか売っていなかった。

なんかアホらしくなって近所の金物屋に行けばアルマイト製の風呂桶があった。1,800円だった。70歳ぐらいのご主人が「プラスチックより重いし、冬は持つ手が冷たいし、高いけどあまり売ってませんで」と、勧められているのかどうかわからない話を聞きながら、なんでケミカルなモノに嫌悪感を感じてしまうのかがわかったような気がした。

「それは損をするからだ」と思った。軽くて安くて便利な、ピンクやブルーのプラスチックに愛着はわきそうにはないけれど、アルマイト製の桶は俺が死んだとき、孫(いないけど)がおじいちゃんの匂いがすると言って泣くだろう。洗濯ばさみだってそうだ。ブルーのプラスチック製では「おばあちゃんが使ってた洗濯ばさみだ」と泣けないけど、アルミ製の先が丸い洗濯ばさみなら数だって覚えているような気がする。

あ、思い出した。俺は二槽式の洗濯機を使っているのだが、動かなくなって電器屋に相談したら、「メーカーを呼んで出張してもらったら修理内容によるけどだいたい1万5千円ぐらいかかるし、全自動で2万円くらいのもあります」と言う。モーターとジジジと音のするタイマーしかついていない野武士のような風貌の強烈に働いてきた洗濯機の凄さを知らない悲しい発言を聞いて、俺は自分がシアワセ者であることを再確認することが出来た。

身の回りのモノだけではなく、住んでいるところや遊んでいる街や店が、ピンクやブルーのプラスチック製のものになったり、便利さだけを追求したシャワーみたいになればなるほどシアワセは減っていく。そして本能的にシアワセが減っていることを感じるから、巧みに用意されたシアワセを発注したり購入しようとしてしまう。それにはお金が思った以上に必要なので、日々のモノをプラスチック製にしなければならなくなる。

過ごしてゆく日々が二度と来ない日々であるということを感じられれば、売られているシアワセを買うことがアホらしくなるだろう。

少し前、体の調子が悪くなって病院に行った時、しんどそうな人がいっぱいいた。自分がしんどくならないとそれを忘れていることに切ないものを感じた。

本町亭
東山区の七条の本町を下がっていくとポツンとある。子供の頃によく親父に連れてもらった洋食屋。20年ぶりに行ったらご主人が「オーちゃんの息子はん」と呼んでくれて俺を憶えてくれていた。この店のデミグラスソースは全く変わっていなかった。やさしい洋食があり、あたたかい中でいただける。シアワセとはこういうことだと思う。

京都市東山区本町7丁目 
電話番号;075-561-5706 
営業時間:11:30AM→13:30PM  4:00PM→6:30PM
定休日:日・祝休

2008年07月14日 10:58

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