その23 男前だと思い通すことによって、ファニーに生きられる。

男前というスタンスをとっていないと、
ズレを感じなくなる。

酒場で男前になれると思えたのは1970年代までだろう。しかもそれは不格好さも男前であるという錯覚も含めてのこと。80年代では男前である方が女にモテるまたはモテるだろうという前提で、男前に憧れたというか誰もが男前だと錯覚した。70年代の不格好さよりも格好の悪い、どちらかというと醜い男前だ。どちらも情けない話ではあるがジーンときたりワクワクしたりフラフラになったりも出来たのでよしとしよう。よしでもいいだろう。よしとしてください。

90年代は男前なものは敵とされた時代だった。それもよし。俺もよく出来る奴や出来そうな奴が嫌いになった時代だった。されど俺は物心ついた時から男前に憧れて生きてきた。ある時はヒーロー、ある時はファニー、ある時は泣き虫など自分の置かれた状況の中でその都度その都度、求める男前が変化をした。

どうしてもこわい奴とケンカをすることが出来なかった俺はその時点で、正義感のあるケンカも強いヒーローから、ケンカは出来なくても女の子の気持ちをわかってあげられる男こそ男前になった。バーでピシッとマティーニを飲める奴よりも水割りのウイスキーを何杯も飲んで2、3時間ぐらいぐずぐずしている奴を男前だということにした。男前の尺度や位置やノリやスタイルを変化させていかないと男前になることをあきらめてしまうから、何もかも都合よくすべて変化していくのが俺の男前だった。

男前でいることはしんどいかも知れない。それでも俺が男前を今も求めているのは、男前でいたいというスタンスをとっていないと街場や店や何かに触れている時にズレを感じなくなるからだ。ズレを感じれば摩擦や痛みや心の変化や何かがそこから派生する。俺の場合はそこからフレーズが出てくる。そしてフレーズが出てくると、俺のつらさや痛みや苦しみ悲しみおかしさをやわらげてくれて俺の人生に溶かせてくれる。だから俺は男前でいるスタンスをやめない。

それに関係あるかないかわからないが、男前でいたい俺だからこそ安く飲めるサービスで泣いた話が以下の話だ。チョット違うか。

泣きながら、ハッピーアワー。

俺はハッピーアワーで損をしてきた。もともと開店したばかりのバーの乾いた空気が好きなので、ハッピーアワーがあろうがなかろうが俺はしょっちゅう夕方からホテルや街のバーに行く。仕事を早めに抜け出した時や、予定もすることもない非常にシアワセな休日や、映画館に行く前後や、レディーとの待ち合わせなど、まだ陽が落ちきっていない時間に行くバーでのひととき、それは俺にとって「ハッピーアワー=シアワセな時間」以外の何者でもない。しかしそれをその店で「ハッピーアワー」などと表示されると俺はやる気をなくしてしまう。

その日の一杯目の酒はいつも必ず自分を男前にしてくれる貴重な飲み物。春か夏ならギムレットのミストかテキーラサワー、寒くなってくればサイドカーかホットウイスキーなどが俺を男前あるいは俳優あるいは小説家だと思わせてくれるし導いてくれもする。そんな貴重な一杯目の酒を飲もうとするそのバーが、ハッピーアワーという名のサービスタイムを設けていればどうなるか。サイドカーを注文しようとしていた俺は泣きながらハッピーアワーの割引が通用する飲み物を注文してしまう。例えばウイスキーの水割りとか。

そうだ俺はウイスキーの水割りが好きなんだった。夜や真夜中はいつもウイスキーの水割りが入ったグラスをエンドレス上げ下げしている男だ。しかし宵の口の一軒目の酒場のファーストオーダーは今日のこの日を謳歌するための酒を飲みたい。いわば絵になる酒だ。

けれどもハッピーアワーの割安さが路線変更を余儀なくさせる。そしてその割安さがグラスの上げ下げに拍車をかける。いつもより速いスピードで何杯も何杯も飲んでしまう。男前も俳優も小説家も何もただの酒飲みと化する。その結果としてハッピーアワーで始まった夜はいつも早い時間からゴキゲンが全開となり、空腹度も増し、二軒目には強い塩分と油チックなものがある店を求めて夜の駒を進めることになる。

数年前、仕事を済ませて目黒のホテルにチェックインしようとした夕暮れ、玄関からフロントまでの距離よりバーの方が近かったので、チェックインもせず俺は吸い込まれるようにそこに入った。カウンターに座るなりギムレットのミストを注文した。しばらくしてハッピーアワー制度があることに気が付いたので、二杯目からはウイスキーの水割りにした。カクテルよりもウイスキーの方がたくさん飲めるからだ。

そしてゴキゲンに何杯も飲んでいるうちにハッピーアワーの時間が終了しましたとバーテンダーが申し訳なさそうに言う。俺はカチンと来た。ハッピーアワーで酒が安いから何杯も飲んでいるのではない。俺はこうして飲む酒が好きだから飲んでいるんだ。それを証明してみせるかのようにハッピーアワーが終了してから二時間ぐらいウイスキーの水割りを飲み続けた。空腹だったので酔いが倍増していた。詩人になっていたスパイになっていたマルチェロ・マストロヤンニになっていた。

その結果としてそのホテルのバーを出て六本木に向かっていた。昔の仲間を誘い飲み屋を何軒もまわった。あとはおぼろ、あとはおぼろ。目黒のホテルにチェックインしたのは夜が明けかける頃だった。アポイントがあったのでシャワーをしてそのまま一睡もせずにスポーツ新聞を読んで朝を迎えてチェックアウトした。そして玄関に向かった時、バーの入口が目に入った。俺はハッピーアワーさえなかったらこんな疲れた思いでこのホテルを出ることはなかったと思った。

ハッピーアワーがあろうがなかろうがいずれにせよ俺は夕方からバーに行く。そしてそうすることでしか心のヒダヒダを濡らせないことを俺は知っている。「シアワセはここに」と、大橋節夫も歌っていた。

2008年10月06日 14:42

このエントリーのトラックバックURL

http://www.140b.jp/cgi-bin/mt/mt-tb.cgi/408

Listed below are links to weblogs that reference

その23 男前だと思い通すことによって、ファニーに生きられる。 from 140B劇場-京都 店特撰