その26 酒場ライター養成講座の始まり。始まりはいつも雨降りか。あったな。「百練」

あまりにも日本が悲鳴を上げ、テレビのノイズが日に日に増し、何となく風が必要だと思われたので、酒場ライター養成講座を開講することになった。四条裏寺の「百練」という店で開講すると決めた。

開講する目的はなんだろう。酒場ライターが増えれば世の中の酒場が今よりも濡れることか。酒場ライターがそのくだらなくも特異な能力を発揮することによって酒場に漂う宝物がそこら中で発見されることか。酒場ライターが仕事または仕事の準備や予習復習のため頻繁に酒場へ出向いてグラスの上げ下げを行うことによって、酒場は酒を飲むためだけの場所ではないということがより多くの人に理解されることか。ややこしい。

酒場ライターという仕事があるのか。
それで自由になったのかい。これもあったな。

しかし酒場ライターになっても仕事はあるのか。仕事があったとしても基本的には酒場ライターでは生活はできない。それは俺が痛いほど知っているし経験してきた。しかも仕事以前に修行を積まねばならない。それにまた金がかかる。胃と肝臓にも戦いを強いられる。そして酒ばっかり飲んでいると頭が必ず悪くなる。でも、ある程度頭を悪くしておかないと酒場も下町も何もかもつまらない。だから酒を飲む、酒場ライター。

酒場ライターは字面が仮面ライダーと似ているが異なるモノである。酒場ライターは敵を敵と見なさないので、ショッカーとは踊り、死神博士とは乾杯してから語る。街の酒場には死神博士のような奴や怪人などそこら中にいるのでいちいち敵にしていたら飲みに行ける酒場がなくなってしまう。

酒場ライター養成講座は一期・四講座。
一講座教材費込みで3,500円。極めて安い。

教材はビールの時も熱燗の時もウイスキーの時もあるし肴もまた教材に含まれる。講座内容は「酒場ライターとは何か」「酒場での立ち居振る舞いと取材の仕方」「酒は泣いているのか」「酒場な文章の書き方」「ある酒場ライターの告白」「酒場と野球と恋と歌」「その酒がうまい時とその店が生命線な時」「実践取材」などが予定されている。さあ酒場の砂漠化を防ぐため酒場ライターとは何かを一緒に考えてみよう。あー。

そして校長は泣きながら講座を始めた。

第一回酒場ライター養成講座を「百練」で開いた。講座開始の鐘を心で打ち鳴らし、時間通り颯爽と開始した。受講者数は14人。講座を始めるまでは俺も受講しに来た人も不慣れなのでお互いに気を遣いながら挨拶や教材のやりとりをしていたが、講座開始の鐘を鳴らした途端に場の空気は一変した。

俺は狭い店内を歩きながら「酒場ライター」とは何かを身振り手振りを含めてまず説明をする。それからグルメライターと酒場ライターの違いとか、酒場ライターという仕事の非伝承性や有意義さと悲しさ、酒場ライターというのはそのような職業ではなく種族あるいは属性だということなどを話す。そしてレジュメに沿って講座を始める。

酒場ライターのためにその1。

「伝えたいのは揺れる心である」をまず力説する。店で物欲しげになれば楽しくないという話。「バー ウイスキー」での取材事例を交えて説明する。「酒場ライターのために その2」は「フレーズは、その瞬間に消えてゆく」。フレーズによって生き生かされているというワケのわからない話を伝えようとして俺もついつい酒を飲んでしまった。受講者の方のセンスがとてもよく助けられた。

理解は苦笑い、不理解は笑顔でグラスを上げるという感じで講座の空気が流れ、そこここに漂うフレーズの存在や魅力を全員でたぶん感じた。そして「酒場ライターのためにその3」は「酒は動物である」がテーマだったが、酒場に棲息する飲み手や作り手の動物紹介みたいなことになった。結果的に全体を通して、俺と店との関わりや思いがけずに見つけたフレーズなどの話をして第一回の講座は終了した。

振り返ると酒場ライターという形容詞のある時代そのものが愉快ではある。そして酒場ライター養成講座ということで不思議な人たちと会えて飲むことが出来る。そこからまた今夜も明日もフレーズが浮遊していく。それにしても酒がよく出る講座だった。

講座は荒れた日本海か。
肴はあぶったイカでいい。これもあったな。

「百練」で開講している酒場ライター養成講座は俺を激しく成長させてくれている。もともと教えたいこと教えられることなど俺は持ち合わせていない。けれども伝えたいことや聞いて欲しいことは多少ある。そして講座が始まると用意していたその多少のネタはすぐに尽きる。ほぼ15分くらいであらかじめ用意していたネタ及びレジメに書き込まれていたネタはカラになる。

カラになったそこから90分以上講座を続けることになる。荒れた日本海の小舟の中に似ている。もう吐くモノがない、そこからが釣りであり海の中である。第三回目の講座では、ネタがカラになったあと、「自分の知る単語で伝えたいことが表現できない時は自分自身で新しい単語を創造すればいい」ということを実例を交えて話していた。

「な」というひらがなについての考察や、ここにこうして集まっている俺や皆さんは「な」で始まる動詞によって生き生かされているなどということについて語り始めていた。「泣く」「嘆く」「怠ける」「なめる」「悩む」「なぞる」「撫でる」。なの付く動詞こそ俺達のキーワードだーーーと、俺は叫んでいた。

みんなのテーブルを拭いたり片付けたりしながら。最後には鍋や漬物の在り方についても語ってしまっていた。俺はこの講座を通じて何を学びどこに行ってしまうのか。

第一回酒場ライター養成講座を終えて。
街のあいつ、あそこのあの人。

最近、街の大先輩が病気をされたり倒れられたりして、店を閉められたり定位置に立っておられなくなったりすることとよく出くわす。そんな時「いつやめるか分からんし今のうちに食うとかな知らんで」とか「わしが具合悪なったらあんたやってくれ、何十年も食うて見てきてるしできるやろ」と言うてはったことを思い出す。

店の主人の名字さえ知らないけれど、何が好きでどんなことで腹を立てる人か野球はどこが好きかは知っている。主人も俺のことはそんな感じしか知らないだろう。お互いに適当にしか知らないから大きな存在になる場合がある。

自分で計画を立てたものよりも、出くわしたものによって酒場や仕事が大きく変わる。それでいいと思う。

百練
この店は2002年のワールドカップの年に俺が始めた。いろいろある。「居酒屋たつみ」でお会いした老紳士が「君はここで店をやりなさい。やればいい。やるべきだ」と言われて行きがかりじょう始めた。

酒とビールと漬物があればいいだろうと考えた。横着なもんだ。そして備品や道具は知り合いの店からもらってきたり、親戚の家からもらってきたもので始めた。テーブルのひとつは「タバーンシンプソン」からもらってきたものだ。宝物だ。そしてテレビを2台置いて、野球を見て飲めればいいと考えた。しかし当時はワールドカップ開催中。サッカーを見ていた。それでもプロ野球という根性がない店だった。

それから数年経ち、昼の時間帯の売り上げ不振を文庫本販売でなんとかしようとして「百練文庫」というものを作った。原稿は俺が書いたものを集め、編集と構成は俺が適当に組み、版下も俺が作り、印刷にまわした。1万部作った。いろんな出版関係の奴に多すぎると笑われた。けれども昼の定食600円と同じ売価で同じ原価率にしようと思うと1万部になった。そんなこんながあり、「百練」は様々な伝説が残るこのような店になった。

昼の定食は600円。抜群に白飯と漬物がうまい。夜は豚しゃぶが食える。酒は「まつもと」でなんと600円。鍋は「有次」の鍋、豚は錦の「村瀬」、豆腐は錦市場の「近喜」。ポン酢も最高にうまい。野球がある時はテレビが音なしで流れてる。なんといっても四条河原町から1分。お通夜に行く前に皆で集まって一杯飲んだり、大阪へ飲みに行く前に一杯飲みながら集合したり、酒が必要な会議や鍋が不可欠な説得の場に俺はよく使っている。

しかし俺はこの店で今も悩んでいる。

京都市中京区四条河原町西一筋目上ル西入る(裏寺町)しのぶ会館2階(居酒屋たつみの西隣)
電話番号:075-213-2723 
営業時間:11:30AM→11:00PM
定休日:無し

2008年11月10日 12:33

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