その27 飲んだ水割り五万杯。 「祗をん 八咫」

学校出てから十余年、
遠いところまで来てしまったけれど
街にはいろいろ教えてもらいました。
そんなわけで、鳴いたカラスがもう飲んだ、
誰がために水割り、5万杯。

昨夜もバーに行った。

連れは男だった。その男が「行ったか、まだなら行こう、ええ店やったぞ」というので、祇園の「ガス燈」という名のバーの扉を開けに行ったのだが、扉にはCLOSEの看板がぶらさがっていた。

バーに限らず目当ての店が定休日な時は淋しい。ガックリ来る。この夜は20年近く一緒に酒場ばかり取材してきた無口な酒場写真家が仕事抜きで誘ってくれた店だったのでとても残念だった。目当ての店が定休日であっても「チョット飲む」欲求は収まりがつかない。勃起と同じだ。車もガレージに入れてしまっていたのでその地点から最も近いバーが「八咫(やた)」だった。

暖簾をくぐり「ここには男と来たことがないなあ、それもこんな早い時間に」と階段を上りながらつぶやく。宵の口だったので客はひとりもいない。2・26と呼ばれるバーテンダーだけがいた。

しらふで来たことがなかったのでカウンターに座るとその趣のある雰囲気があまりにも新鮮で、チャージはいくらかを何故か聞いてしまった。2・26が「1000円です」と悪そうに答えるので「5杯以上は飲まんとあかんなあ」と、酒場写真家にブロックサインを出した。

宵の口から水割りはもったいない。

せっかく腹が空っぽで、胃の肌もきれいなんだからスピリッツかスコッチのストレートを飲みたい。そしてオーダーするたった何秒かほどの時間が我々にとってとてもしあわせな瞬間だ。何を飲みたいか、何を飲むべきか、バックバーに並ぶ酒をなめ回し、グラスを見つめてイメージがふくらんでは消える。隣の男あるいは女とこれからどんな時を過ごしたいのか、バーテンダーの顔、音、空気、昨日のこと明日のこと、そのすべてがたった何秒間かにギューッと詰まっている。 

普段は思わないけれど、こうして酒場のことを紙に書いているとその瞬間の存在、可愛らしさに気づく。バーではいつも夢中あるいは夢の中なのだ。

酒は覚えられなくて、当たり前。

「なんかスコッチをストレートで」とオーダーすると、「どういたしましょ」と必ず返ってくるが、その酒の名がどうしても覚えられない。情けない話だがスコッチで普段覚えているのはジョニ黒とVAT66、マッカラン、ホワイトラベル、フェイマスグラウスぐらいなもの。けれどもボトルを見ると昔付き合った女のように思い出す酒もある。「おお、我が心のボウモア」とか「おお、うるわしのグレンモーレンジ」などとかけ声もその味も思い出すが、どっちにせよ海の藻屑となる記憶。執着しているのは今宵のごきげんのみ。この夜も1杯目はシングルモルトの何かだった。わからない。

またもや教訓を発見。

2杯目に進もうとしたとき、ストレート用のショットグラスは損だと思ったので、ロックグラスでストレートを飲ませて欲しいと発言した。俺がバーテンダーならロックグラスの方が多い目に入れてしまうと思ったからだ。ついでに、度数の高いスコッチにして欲しいとも発言。アルコールを求めているのではない、より強い酒はチェイサーもうまくするのだ。

この夜「八咫(やた)」では各自6杯ずつ飲んでチャージ1000円は、1杯あたりで換算するとチャージ100円台になりました。しかも、教訓まで発見することができました。

バーな酒は、スナックな夜に負ける。
バーに行くと酒にどうしてもいやしくなるが、スナックでは酒にいやしくはならない。

大阪は西九条のスナックで酒場慣れした奴と、そんな男を十八番にしているその店のママと3人で多分ニッカのウイスキーを飲んでいた時、どう見てもその酒場に似合わない眼鏡な編集者が照れくさそうに遅れて現れたとき、我々の目の前の水割りは突然、水臭くなった。

それを感じた酒場慣れした男が「おー、急に水割りがうすうなったなあ」と言うと、平山美紀とマギー・ミネンコを混ぜたようなハスキーなママがドボドボと酒を足し、酒場慣れした男が「うたおかい」と、文脈をふたつとばした。

それから何を歌ったかは覚えてはいないが、西九条のベタなスナックの扉を開けてきょとんとしていた左門豊作の弟によって、イヤと言うほど濃い水割りでないと昭和が泣くぜと思わずにいられなかった。1960年代、70年代のような年代の区切りではなく昭和な感じと水割りな感じはよく似ている。

「昭和のカタチ」というお題をもらったのでこんなことをコースターの裏に書いて出版社に渡したことがある。

昭和のカタチ。

サントリーオールドは70年の大阪万博に似ている。
何が似ているんだろう。カタチが似ているのか
だとしたら昭和はダルマか、ズングリムックリか。
これも昭和も流線型ではないだろう

どちらかと言えば鈍くさくて、よく失敗しそうな奴で
不器用で下手ばかりしてしまうのに話しかけてくる。

あ、そういえばサントリーオールドはいつも整列していた。
タッパのない棚の中でみんな同じ黒い服を着て
まるでこちらを見るように酒場の棚に並んでいた。

その時は煙草の煙もモクモクしていてマッチがあったし
出会うのも別れるのもエネルギーが必要だった頃だ。

好きだった。あの時のあの人が好きだった。

最近飲みに行く店にサントリーオールドはないけれど
俺そのものが大阪万博でダルマになっている。あー。

黒い水着姿の山口百恵。

植木等やグループサウンズをおもちゃにするのではなく、60年代から70年代のノリを面白がるのでもなく、子供の頃のあの昭和な感じが好きで仕方ない。 

近所にいつもラジオを聴いてる大学生がいた。少年マガジンを絶対に捨てなかったニキビな住み込みの職人がいた。浮気という単語だけで何やら勃起したし、今から思えばまだ60歳ぐらいだった俺のおばあちゃんは、「おばあちゃん」「おばあさん」の標本のような人だった。

運動会ではクシコスの郵便馬車がかかるといやになるぐらい燃え上がった。走り回った、裸足になった。

初めてジンを飲んだのは黒い水着姿の山口百恵が雑誌『GORO』に掲載された頃だった。10代の頃はこのジンを飲む俺こそ俺を象徴しているのだと、照れながら思っていた。それから30年以上たってもジンをストレートで飲むのは照れくさい。ショートカクテルをオーダーするときも違う照れくささはあるが。道頓堀の「バーウイスキー」のマスターの前では照れくさくない。酒や酒場は不思議なもんだ。

祗をん 八咫(やた)
京都を象徴するかのような街並みの縄手から辰巳神社に至るまでの新橋筋にあるバー。一階は割烹的な和食の店があり、バーはその二階にある。どちらかというと水割り的な店ではなくカクテル的ワイン的なバーか。

京都市東山区祇園縄手通新橋東入元吉町42-3
電話番号:075-525-5522  
営業時間:7:00PM→2:00AM 
定休日:日曜休(祝日の場合は月曜休)

2009年03月30日 19:56

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