越境編その1 京都には、リーチバーはない。 「リーガロイヤルホテル リーチバー」

京都で生まれ育ってきた俺にとって[リーチバー]は異国の存在だった。

初めて行った時、その重厚さ、静かさ、響き、空気、グラスの音、靴の音、人の気配のすべてに圧倒された。何だかこわかったし緊張した。緊張すべきだと感じた。

俺がハタチ過ぎの頃、今から30年近く前。京都で生まれ育ったその当時の若者にとって目茶苦茶無理をして背伸びをして行くことが出来たのが三条寺町の[サンボアバー]。その当時バーに行くということ自体、決死の覚悟が必要だった。大層に言っているのではなくそんな感じだった。

そんな時代のハタチ過ぎの若者が地元ではない大阪の、老舗ホテルというか巨大ホテルの、まるで結界だけが示されているかのような扉のない一階のバー、しかもまだ夕方にもなってないような飲むことをためらう時間帯、お客さんは背広、外人さん、そして見たこともないような大人的な女性、そんなバーに足を踏み入れた俺は自分が小僧であることで助かったと思った。言い換えれば小僧な年齢であることを隠れ蓑にした。そんなことを思わせるほどのバーだった。バーなのである。

初めてリーチバーに行ったその時に飲んだのはバーボンウイスキーのロックだった。一緒に行った先輩と同じものを注文して飲んだ。そういえばバーボンの時代だったな。月刊プレイボーイにバーボンの広告がよく出ていた。カーコンポの広告も多かったな。そう、カーコンポ。ロンサムカウボーイとか。まあいい、とにかく俺はリーチバーで萎縮した。

萎縮は酒をうまくする。

バッキーの名言だ。若い頃にそんな極意はもちろんわかっていなかったがその時に飲んだバーボンはとてもうまかった。

酒がうまかったということはリーチバーに許してもらったんだと思ってしまうところが若気の至り。それから俺は大阪に出るたびにリーチバーでひたすら飲んだ。昼間に大阪へ着けば昼間から行く。夕方に仕事が終われば急いでL字型のカウンターへ向かう。大阪の師匠や先輩から呼び出されるのもリーチバーが多かった。そしてそこではいい話をしてもらったことしか記憶にない。

それは静かながら低いざわめきがあり、声が通るような通らないような響きがあるこのバーならではの声の出し方と関係があるような気がする。このバーならではの声の出し方を心得て話すことにより、どんな話の内容であってもトーンが心地よくなったり、グラデーションがつくように余韻を柔らかくするのかも知れない。バーの設えや空気が話の中身を変えてしまう、なんて素敵なことなのだろう。もうこのままこの原稿を「あー。」で締めくくって、今すぐ京阪電車に乗ってリーチバーに向かいたくなってきた。

ギムレットの甘酸っぱい香りがすぐそこにあるかのようだ。このバーの木煉の床を靴で叩くかのようなコツッコツッという靴音を思い出してきた。ホテルのフロントを横目に見て早足でリーチバーを目指す。ホテル玄関先では石の上の靴音。中に入ると絨毯で靴音が消え、しばらく歩くと大理石のタイルで高い音の靴音になる。そして結界を超えてリーチバーに入ると靴音が柔らかくなって響く。木と革が奏でる打楽器か。スツールを引いてカウンターで飲む。日の暮れならギムレット。ミストでいただけばいくらでも飲んでしまう。

そうなるとこの店が出発点になる。リーチバーが出発点になった日は必ず別のバーに行くことになる。リーチバー、晩ご飯または居酒屋、バー、スナック、バー、うどんまたはソバ、となる。リーチバーはバーのカテゴリーに入らない。リーチバーというカテゴリー。複雑。結論だけ述べる。

京都からまっすぐに行けるようになったリーチバー。けれども帰り道は真っ直ぐではない。大阪にはそこら中に磁力がある。引力もある。あー、というしかない。あー。

リーチバー
 リーガロイヤルホテルのメインバー。イギリス人の陶芸家バーナード・リーチの構想がベースになっている設え。とっておきの相手と会えば、または会うときに行きたくなるこのバーはホテルのバーだと何故か思えない。というより街角で飲んでいるような気になってくるのがこのバーだ。どっしりとした重厚なインテリアだけれど決して気分を重たくさせず、靴音がきれいに響き、近くで飲む他人の会話が耳をささない。けれども来られているお客さんのそれぞれの情景を思わず想像する愉しみは日本でも最高のレベルといっても過言ではないだろう。

そんな愉しみがあるせいかこのバーでたくさんの人と何度も待ち合わせをしたが、京都人には珍しく相手よりも遅れて行ったことは今まで一度もない。たいていは約束の15分から30分前には、いる。前日からいることもあった。そして長い方のカウンターの角から2番目か3番目の席に座りギムレットのミストをオーダーする。一杯目のギムレットのキックになれる頃、「あー、今宵もこれから始まってしまうのか」となんだかよくわからない覚悟が決まる。

そのうちに相手が現れて何か注文する。俺のグラスと相手のグラスは奇数と偶数のようにほぼ同時になくなることはないから気を遣って何杯も飲んでしまう。そしてこのバーが始まりなのでかなりの確率で夜中には気絶してしまう。仕方ないからまたここに戻ってくる。関西の宝物だ。


大阪市北区中之島5-3-68 リーガロイヤルホテル1F 
電話番号:06-6441-0983  
営業時間:11:00AM→0:00AM 
無休

2009年03月24日 18:24

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